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サッカー観戦日記
by T.K.
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■雑文・ベガルタ仙台の監督交代について
ベガルタ仙台の清水監督が解任され、ベルデニック氏が後任に入るという。2006年1月までの長期契約らしい。今期のゲーム内容・結果からすれば解任は当然である。J1残留成功しようがしまいがシーズン終了後には解任は避けられないものと考えてはいた。またベルデニック氏は優秀な指導者だ。彼を獲得できる機会を逃さない迅速な行動力はサッカークラブに不可欠な姿勢でもある。しかし、私はこの選択はあまり賢明なものではないと考えている。長期戦略の一環としても、対処療法としてもだ。
そもそもベガルタ仙台というクラブには戦略的なクラブ作りを感じない。まともに提示したことすらないのではないか。このクラブ初期からの失敗の数々を挙げてみよう。
まずチーム名。東北電力サッカー部を母体に「東北全体に愛されるプロサッカークラブ」を目指すはずのチーム名が「伊達男」というブランメル。なんて仙台ローカルなネーミングなのだろう。当時の最大出資企業は岩手の会社だったが、スポンサー集めを考慮した目標ではないはずだ。1ヶ月やそこらでもう方針変更したのだろうか?しかも実在のブランメルは経済的に破滅した人物で、不吉そのもののネーミング通りに後にクラブも破綻するのだった。現在の「仙台市民に愛されるクラブ」という方向性はまったく正しい。初期の目標がはったりに過ぎず、無駄なロスをしていなければいいのだが・・・・・・。
次にユニフォームスポンサー。東日本ハウスを「HIGASHINIHON HOUSE」と表示していたが、個々の字が細かすぎてとても読めない。宣伝効果皆無である。もちろん東日本ハウスには胸広告以外にも様々なアピール機会を与えられたはずだ。しかしユニフォームの広告効果さえもまともに配慮しないクラブが、他の場でスポンサーに十分な宣伝機会を与えたのだろうか?
さらにJFLを速やかに通過してJ昇格という短期目標にも無理がある。クラブとしての土台なしに選手や指導スタッフら現場の人間だけを集めて勝てるわけがない。また肝心の現場にしてもJFL1年目には中途半端に集めた選手や、東北電力時代からの監督でJFLレベルではなんの実績もない鈴木監督で戦い、プロでありながら社会人リーグであるJFL16チーム中15位という、恥を通り過ぎて悲惨な結果に終わったのだ。鈴木監督はシーズン終了後「今年はJFLの情報を集めるつもりだった」と語った。現場の人間として言い訳は色々あろう。しかしクラブとして、そのシーズンの選手・監督を捨て駒にクラブ組織強化戦略をとるのであれば、選手に資金をかけたり、東南アジアキャンプという愚策をとるべきではなかった。
クラブ初期はプロとアマの取捨に充てプロフェッショナリズムを叩き込む時期でもあり、それに適した人材を呼ぶべきだ。人は優れた指導者を名将と呼ぶが、誰にでも得手不得手はある。クセの強い人間を巧みにまとめ上げるタイプ(エリクソン、トラパットーニ)、チーム戦術理論に秀でたタイプ(ファン・ハール、ビエルサ、クーペル)、相手との力関係を把握し弱小クラブでも結果を残すタイプ(マッツォーネ、アンティッチ)個人の意識付けにこだわり、育成に長けたタイプ(ドヌエ、ビクトル・フェルナンデス)など様々なタイプを状況に応じて招聘する判断がクラブ強化責任者には求められる。さて2年間大きな進歩のないブランメル仙台はヨーロッパ屈指の理論派・エルスナーを招聘した。既に高齢だが、プレッシング・フットボールに詳しい指導者である。戦術指導に専念できるクラブならば結果を残せたかもしれない。本人も自信はあったろう。だがプロとしての秩序・意識に欠けるクラブの実態はエルスナーの想像を絶するものだったに違いない。初歩的なことを細かく何度も教えるだけの体力・気力が続くものとも思えず、彼も結果を残せないままクラブを去った。
そして財政破綻。後先考えず金を湯水の如く使い選手を集めれば必然の結果である。「Jに上がれば何とかなる」は企業人の発想ではない。しかもハードを整備せずクラブ資産もないという状況である。「人は石垣、人は城」という考えが現実には甘いことくらい、青葉城下の人間なら理解しているべきなのだ。
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09月16日(火)
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