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サッカー観戦日記
by T.K.
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■雑文・私が2020年東京五輪の野球の参加に反対するわけ。
日本で野球をやっている小学生なら誰でもモンゴルよりも上だろう。モンゴルが誠意を持って真摯に野球に取り組んでいないのは明らかだった。にもかかわらず、日本が容易にメダルを取れるという理由で正式種目にしてしまう大会自体に疑問と怒りを感じた。中国もタイも競技人口が1万人にも見たず、努力も才能も感じられなかったし。
「クールランニング」という映画をご存知だろうか?南国ジャマイカがボブスレー・チームを作り冬季五輪に参加する実話を基にした物語だ。ジャマイカは冬季五輪に参加するものの、遊び半分の出場として周囲から冷ややかな視線を浴びる。真剣な競技者にとって、いい加減な気持ちで大会の参加されるのは不愉快だし、何の国際交流にもならない。むしろ、愛するスポーツを冒涜された気持ちになるものだ。
五輪では競泳で競技中に溺れる選手が出たこともある。ちょっと水泳経験があれば分かるが、こむら返りなどで、競技中に続行不可能になってとしても、落ち着いていれば溺れたりはしないものだ。今では溺れる選手など五輪に参加できないが。
そう、広島アジア大会での野球のモンゴル(と中国・タイ)の参加はスポーツを愛する精神への冒涜そのものだった。大抵のスポーツ大会の目的には競技力向上や交流が掲げられている。しかしそのどちらも不可能ならば、その競技には身を引いてもらうしかない。モンゴルや日本の血税を使っているのだから。交流する意志があるならば、アジア大会という舞台を利用せず、自主的に大会を開催すれば良いのだ。
これは国費留学生が勉強せず遊ぶのとはわけが違う。留学生が勉強しなければ国費をカットすればいいし、そもそも文化を持ち帰った人も多い。反政府的な思想に染まっても、長い目で見れば、国のためになる。
ではサッカーはどうか?01年に大阪で東アジア大会が開催された。要するに五輪の東アジア版である。サッカー競技(女子はなかった)では日本はユニバー優勝を目指す日本大学選抜が参加した。そしてワールドユースアルゼンチン大会を控え、日本と同じ組に入ったU−20オーストラリア代表も特別参加。そのほか若年層のウズベキスタンも参加した。
しかし私が注目したのはいわゆる「弱小国」だ。一般スポーツにおいては「弱小国」は果てしなく弱い。しかしモンゴルは技術と身体能力では日本大学選抜より上だった。現在世界ランキング180位以下の国でも一般スポーツなら優勝レベルの強さだったのだ。大会最弱国はおそらくグアム。しかしゴツいセンターバック5番を中心に必死に守り、どこ相手だったか、5失点で凌いだ。5番が引き上げる際、感動して私は「Hey!Guam No.5. Nice fight」と叫び、5番も親指と小指を立てて応じてくれた。
サッカーは誠意を持って真剣に取り組んでいるかどうかが一目瞭然なスポーツ。努力してなければ、90分走れない。グアムの情熱は伝わった。
昨年の野球のWBCでは相変わらず、ほんの一つまみの競技人口しかいないオランダ(実質キュラソー島)やらブラジルやらが出ていた。五輪参加は12カ国。そんなに情熱を持ってやっている国があるのだろうか?国際目線に立てば、競技人口1万人の国など、存在しないに等しい。国際交流に役立つスポーツが他にあるなら、開催国の都合とか、イージーにメダルを取れるかとかではなく、才能ある選手が誠実に真摯に努力しているスポーツこそが国際大会に参加すべきだ。開催国が五輪をどう利用するかではなく、五輪のために、
スポーツを愛する精神のために、何を出来るかが重要なのだ。五輪は日本の私物ではない。そう考えると、おのずと五輪から野球は削除されるべきだ。国民の過半数が五輪での野球に血税を投入することに賛成していようと、たとえ9割が賛成していようと駄目なものは駄目なのだ。まだ五輪不採用競技の中に野球より国際交流のためになる競技はある。第一、当の日本の野球界自体がホンの一握りの国以外をリスペクトしていないのは明らかではないか?
02月28日(金)
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