ID:40506
サッカー観戦日記
by T.K.
[4382201hit]

■アテネ五輪本大会日本代表
FWを4枚とすると、MFは7枚となる。オーバーエイジ小野、運動量豊富で相手を潰す技術に長ける今野、抜群の展開力を誇る阿部は不可欠。小野をボランチとして数えれば3人、トップ下として数えてももう1人必要になるが、山本監督は明らかに山瀬より松井を重視しており、選出は確実であった。DF徳永以外のアウトサイドで、もっとも突破力の石川は確実。あとは左サイドとして守備力が一番の駒野、そして山本監督が重視している森崎浩司となる。

FWは4人となる。オーバーエイジ高原はCFとしてポスト役を求められるので、残りは平山か高松。キャンプ中に山本監督が平山の危機感を煽る発言をしているが実力的に平山選出は濃厚であった。そしてチュニジア戦で先発した高松は全く基点になれず、後半の平山の活躍ぶり。誰よりも高松自身が落選を確信しただろうが、高原の離脱により高松が土壇場で選出された。ただ本大会で戦力になれるかどうか疑わしい部分もあると思う。山本サッカーではポスト役は不可欠なので高松を選ぶしかなかったのだが。そして田中達也と大久保。


2年間で28億もの予算を投じての強化の過程は右往左往に尽きる。「選手というものはチーム内にヒエラルキーを構築し、そこに安住してしまう。それを破壊し、新たなヒエラルキーを構築するための競争を繰り返すことによってチームを強化する」というトルシエの理論を表面上なぞった様に、次々に数多くの選手を入れ替え、様々な選手起用を行なう、いわゆるテストごっこを続けてしまった。チーム内での競争意識を高める上で何より重要なことは監督自身の直接的言動による雰囲気作りであり、トルシエの場合はエキセントリックなキャラクターを上手く活かしていた感があった。しかし山本監督の場合は試合での采配やあまりに咀嚼された言動に頼りすぎてしまったのかもしれない。レフェリーであれば雰囲気作りではなく警告を乱発してゲームコントロールを図ったり、一方のチームに退場を宣告すればもう一方にもきっちり退場を宣告するタイプかもしれない。ある意味自分を過剰コントロールしているというか、もう少し自分の殻を破ったほうが良いのではないだろうか?でなければ今後大きな成長は望めまい。

山本監督のチーム作りに対する私の立場は一言で言えば不支持となる。解任派とまでは行かないが。DFラインからのタテのフィード重視、一旦ポストに当てるといった戦術イメージが終始一貫している割にはチーム作りは進まず、育成チームとして考えても個々の成長度合いには疑問が多い。もちろんあくまで主観的な感想であってJ1レギュラーの数といった客観的な材料を挙げることは出来ないし、そもそも96年はもちろん00年と比べてもJのレベルが上がっているのでJ1レギュラーが減るのは当然なのだが。このチームはそこそこまとまっており大崩れすることはなさそうだが、本大会での決勝トーナメント進出はあまり期待していない。



01年ワールドユースメンバーと比べてみよう。所属クラブは当時のもの。

GK 藤ヶ谷陽介 フジガヤ ヨウスケ 1981.02.13 185cm 78kg コンサドーレ札幌
黒河 貴矢 クロカワ タカヤ 1981.04.07 182cm 73kg 清水エスパルス
岩丸 史也 イワマル フミヤ 1981.12.04 186cm 80kg ヴィッセル神戸
 
DF 池田 昇平 イケダ ショウヘイ 1981.04.27 180cm 70kg 清水エスパルス
茂庭 照幸 モニワ テルユキ 1981.09.08 181cm 75kg 湘南ベルマーレ
那須 大亮 ナス ダイスケ 1981.10.10 180cm 72kg 駒澤大学
羽田 憲司 ハネダ ケンジ 1981.12.01 180cm 70kg 鹿島アントラーズ
中澤 聡太 ナカザワ ソウタ 1982.10.26 188cm 78kg 柏レイソル
 
MF 森崎 和幸 モリサキ カズユキ 1981.05.09 175cm 70kg サンフレッチェ広島
森崎 浩司 モリサキ コウジ 1981.05.09 175cm 70kg サンフレッチェ広島
石川 直宏 イシカワ ナオヒロ 1981.05.12 170cm 56kg 横浜F・マリノス
根本 裕一 ネモト ユウイチ 1981.07.21 172cm 63kg 鹿島アントラーズ

[5]続きを読む

07月16日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る