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サッカー観戦日記
by T.K.
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■先週の結果
モントーヤはレースに命を懸けているが、どこか壊れた男なのだろう。「オレは命がけでレースをしている。そのオレを邪魔するならお前も命を賭けろ。嫌ならオレに譲れ」と言わんばかりの走りである。フェアプレー精神どころか、他人の命すらどうでもいいタイプである。ついでにあの見るからにシャイ、というよりネクラぶり。レース中に紹介される写真は昨年からおどけたものにしてイメチェンを図っているのかもしれないが、そのおどけたつもりの表情がまた不気味だ。仏像がおどけたほうがまだマシだろう。つくづくこの男はある人間を思い出させる。

要するにモントーヤはアイルトン・セナに似ているのだ。あの男もやたらとプロストにぶつかった。フジテレビ的には「お互い様」となっていたが、セナは誰とでもぶつかっているのに対し、プロストは人にぶつけないドライバーだった。モントーヤ同様、この対立にはセナに一方的に非があるのだ。ネクラなところもそっくりだ。セナは全盛期の速さもモントーヤに引けを取らなかった。もちろん当時と異なり体力面・精神面・作戦面での充実が求められる現代F1のトップドライバー・モントーヤほどの総合力・資質はなかったが。

このふたりは単独走行では卓越した速さを見せる一方で1対1のバトルは
意外と苦手で前の車を抜けずにぶつけたり、後ろの車からのプッシュにこらえきれずにぶつけたりするシーンが多い。そういえばセナはベネトンのシューマッハにインに飛び込まれ、抜かれかけてぶつけたこともあった。ウイリアムズのプロストに対抗させるためか、主催者側は何のペナルティーも下さなかったが。最強エンジンがなければ抜くこともブロックすることも出来ないタイプなのだ。シューマッハが貧弱なフォードV8エンジンで先行車を抜いたり、雨のスパで、しかもスリックタイヤでレインタイヤ装着のウイリアムズ・ルノーのヒルをブロックし続けるほどの戦闘力は備えていないのだ。だからぶつけてしまうのかもしれない。

当時は現在ほどのスプリントレースではなかったため、体力難の影響は少なかった。そのためにとてもスポーツ選手とは思えない、自己管理のできないドライバーがゴロゴロ転がっていたものだ。ヘビー・スモーカーも酔っ払いもいた。セナなんて「レース前夜のS♡×はリラックスにいい」などとボクサーが聞けば怒り出すような不摂生ぶりだった。だから最強マシンによる先行逃げ切りしか出来ず、少し性能が落ちれば暴れることは出来ても粘り強くポイントゲットは出来ず、「勝つか惨敗か」という傾向が強かった。93年のマクラーレンでの健闘もウェット・コンディションではウイリアムズよりも強いマシン特性を活かしたもので、通常はローテク・ベネトン程でもなかった。セナのレース・スタイルは時代の違いで片付けられるものではない。当時すでにアラン・プロストがいたのだから。天性の瞬間的速さに努力や創意工夫を重ねて少しでもポイント獲得を狙うのはスポーツ選手として当然のことなのだ。ピケやマンセル、セナに自己鍛錬など無理だろうが、自己コントロールもまた才能のひとつなのだ。今にして思えばピケもマンセルもセナも結果を出しうる幸運な時期に走ることが出来た。そしてセナはシューマッハの登場とともに失速し、92年にはマクラーレン・ホンダに乗りながら、圧倒的に劣るベネトン・フォードのシューマッハ(初めての年間参戦!)にシーズン順位で敗れ、34歳当時の94年には「人形が乗っても勝てる」ハイテクマシンのウイリアムズ・ルノーで「永遠に勝てない」(セナ談)ローテクのベネトン・フォードのシューマッハに予選でもかなわないようになってしまった。誰が見てもウイリアムズのほうが、はるかに速いのに。シューマッハは35歳の今でも速いのに。


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05月24日(月)
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