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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■図記号。
「株式会社石井マーク」という会社が大阪市内にあります。私たちが日常でお世話になっている「表示」というものを専門に扱ってらっしゃる会社です。Twitteアカウントの運営もなさっていて、私もフォローさせて頂いています。大変愉快なイラストとともに興味深いTweet(以下Twと表記)をなさいますので、楽しいと同時に大変勉強になります。
その石井マークさんのTwについて、うにうに考えていました。うにうに。
「ピクトグラムに含まれる表現に『先入観を植え付ける可能性』があるかといえば、少し前提を整理する必要があります」
このような書き出しで、石井マークさんのベビーケアルームとトイレの図記号についてのTwははじまりました。9つのTwが連なっています。詳細は実際の記事をお確かめください。
その一連のTwを拝読して、私は少しもやっとしたのです。Tw4つめ〜8つめ、トイレの図記号とそれがはらむの問題の指摘について。それがどうも、「女性はスカートを履いているとは限らない」という指摘を、文面通りにしか理解していない(と思われる)Twだったからです。
女性は女性でないものを「女性である」、或るいは「女性はこれを使うものである」と、多くは女性ではない者たちによって規定され、そのために息苦しい・生きづらい境遇に追いやられてきた歴史があります。
近年浮上してきた「ダサピンク現象」なんてのも、それが目に見えるかたちになってきたものでしょう。「ピンク=女の子の色」、「女の子はピンク色が好き」というようなことが何者かによって勝手に決められてしまって、「これほしいけど、ピンクじゃなければなあ」という選択肢の狭さを生み出したり、身につけたくもないピンク色を強要されたりなんてことが、たくさん起こっている訳です。
もちろんピンク色が好きな女性もたくさんいます。それはピンク色が好きな男性がたくさんいるのと同じことです。それが何故、女性のものと規定されてしまったのか、不思議ですね。
さて、「女性はスカートを履いているとは限らない」という指摘は、石井マークさんがTwの中で仰っているように「実際の女性は必ずしもスカートをはいているとは限らないから」されているのではない、と私は考えています。そして女性の図記号の問題点はその部分ではなく、「スカート」という「衣服」によって「女性」が表現されていることなのだ、と。
何故、自分の性を特定の衣服で表現されなければならないのか。その表現は「女性はスカートをはくものである」或るいは「スカートは女性がはくものである」という根拠のない定義によって生み出されている、また、そのような女性が望んでもいない定義を勝手にしているということではないでしょうか。
特定のものを女性を表現するものに規定することで、女性はその「特定のもの」に存在を縛られることになり、さまざまな選択肢を失ってきました。私は既に女性ではありませんが、それでも現行の女性の図記号で厭な気分にはなるし、体調によっては大変苦痛に感じることもあります。そして、このように感じるのは私だけではありません。
一定の利便性を提供している一方で、女性の図記号は一定の苦痛も生み出しています。
石井マークさんはこのように仰っています。
「人間の様な『見た目で分からないモノ』を見た目で分かる様にする為のサインは『人間とは必ずこうあれという見本』を示す仕事まで請け負っちゃいないンです」
そのようなことを図記号に望んでいる人はいるのでしょうか。女性の図記号の問題を指摘する人たちは、そのようなことが問題であると言っているのでしょうか。
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03月10日(日)
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