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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■雑に。
五〇〇グラム入りの大きなヨーグルトに砂糖の小袋が添付されなくなったのはいつからなのかちょっとだけ気になっている衛澤です。
特定の銘柄だけかと思ったら一斉になくなっているみたいですね。

■六月末に公開がはじまってからずっと観に行きたい、観に行かなければと思いながらずっと行けずにいた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」、やっと観てきました三日前に。
隣県まで出て行かなければ観られなかった作品ですが、大手劇場での公開が終わった頃に地元のシネマコンプレックスでの上映がはじまったので、こちらも終わってしまわないうちにと路線バスを乗り継いで行ってきたのです。

バスの乗り継ぎ場所は鉄道駅前のターミナルで、沢山のバスが来たり行ったり停まっていたりしていました。そこで目的地へと走るバスを待つ間に、或るバスの最後尾にこういう広告を掲示されていました。



「8930」で「ヤクザゼロ」と読ませるのは判る。しかし「422」で「ダブルパンチ」は、どう考えても解せぬ。一五年くらい前に深夜に放送されていた関西ローカル番組「テレビのツボ」放送枠で流れていた美容院だか専門学校だかのCMで使われていた「○○-453-9111」を「ようこそクイーン」と読ませていたのよりも強引であると言えましょう。

それはさておきまして。

観て直ぐに簡単な感想を書いておこうと、そういう気持ちだけはあったのですが、身体(主に脳髄)が文章を書く態勢に切り替わらないという動作不良が近頃頻繁に起こっておりまして、書けずにおりました。
直ぐに書いておかなければ、「感想」だとか「ひらめき」だとかいうものは時間とともに揮発してしまうものです。それを知っているが故に、劇場に赴いたその日のうちに思ったことどもを簡単にメモ書きにしておきました。
そしたら。
書けないなあ書けないなあと日を過ごすうちに、ほんとうにきれいさっぱり思っていたことどもが脳髄の中から蒸発しきってしまいまして、メモ書きを転記することしかできなくなりました。自分が思ったこと、考えたことすら、最初からなかったことのように忘れてしまうなんて。これは加齢のせい? いわゆる経年劣化? 自分がつらいです。

で、やっと感想。ほんとうに簡単に。

・キイワードは「ぽかぽか」。
非常に衒学的で難解だったテレビシリーズ及び旧劇場版と比較して、新劇場版は平易な言葉に換言されている部分が多い(衒学的で難解な部分がなくなった訳ではない)。
劇中で綾波レイが口にしたこの擬態語は、旧劇場版までは作中に垣間見ることもなかった、今作の特徴でもある「拓けた未来への予感」を喚起するものである。
しかし、物語の随所に丁寧に織り込まれる「予感」というものは、往々にして作者によって挫かれるためにそこに配置されるものでもある。

・台詞が具体的、と言うか、説明的になった。
これにより「判りやすくなった」と思う向きもあるかと思うが、そういう人たちは、私に言わせれば「物語を読み解く能力に欠ける」のだ。状況や心情を人物の言葉即ち台詞によって(描写によらず!)受け手に知らせるのは、わざわざ重ね言葉(「馬から落ちて落馬した」や「遺産を残す」など同じ意味の言葉を重ねて使用すること)を択んで文章を書くようなものだ。そのような文章は、くどくて読みづらい。
物語においてもそう。説明的台詞が多発する物語は、物語のかたちを失いがちである。受け手に判ってほしい事柄は「説明する」のではなく「描写し」なければならない。
これくらいのことは、庵野監督をはじめ制作側はよく判っているはずだ。おそらく敢えてこのようにつくっているのだろうが、それは作品として意図する何かがあるからだろうか、それとも現代の若年層が物語に不慣れなためにその層が判りよいようにしているのだろうか。
後者だとしたら、私としては非常につらい。

・過去作の要素:新要素=3:7くらいか?

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09月18日(金)
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