ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■果てしなく自由。
この日は毎年特別な日と言わざるを得ない日で、今年もやはりそう。いつもと同じように過ごしていても何かが特別になる。
昨日と同じように歩き、去年と同じように歩き、昨日と同じように眠く、おそらく去年と同じように眠い。誕生日はそれほど特別な日なのだろうか、と思う。ぼく等は毎日新しく生まれているというのに。
いつものように半月ごとの通院の後、近頃の習慣通りにファストフード店で書きものの仕事をして、一ト駅分歩いて自宅までの帰途を辿る。途中にある遊歩道の、少し前までネコの集会所になっていた休憩所は、最近無粋なことによってネコが遠ざけられていたけれど、いつも通る度に「今日はいるかもしれない」と思いながらちらりと覗く。今日も覗いた。一匹だけ、いた。
ちょっと前に、数十分前に、ちょっとだけがっかりすることがあって、落ち込むほどではないけれど爽快という訳でもなかったぼくは、そのとき、ああやっぱり厭なこともあっていいこともあって世界はまわっているんだ、と思った。
立ち止まって、ネコを見た。ネコは見つめられるのを厭がるけれど、休憩所で日向ぼっこしているネコは何処かへ行ってしまわなかった。近寄っても、何処かへ行ってしまわなかった。

自由ネコと会うのは久し振りだったから、少し一緒に休憩しようと思った。帰宅しなければならないとか仕事をしなければならないとか、「なければならない」がそのときなくなった。
自由ネコと同じベンチに寝た。頭の上ではないところに空が見えた。風も見えたような気がする。
自由だ、と思った。

いつも不自由を感じている訳ではないのだけれど、むしろ他人さまよりも自由だと感じているのだけれど、今日感じた自由には、果てがないように思えた。どこまでもどこまでも、距離も時間も遙かに越えてしまっている自由。
ああ、そんなものもあるんだね、と、はじめて思ったぼくはこの日でやっと三七歳。
「それは駄目」があっても「お前は駄目」があっても「これ以上は駄目」があっても、ぼくは自由。それはぼくの自由ではなく、誰かの自由でもなく、境いとか果てとかないんじゃないだろうか。宇宙みたいなものじゃないだろうか。もしかしたら真理と同じものじゃないだろうか。
ネコはそこにいる。

遊歩道脇のベンチに仰向けになってぼんやり空を見ていた。「いま」に終わりがないように思えた。果てのない自由。果てのないいま。
ネコがベンチを降りて、姿を消した。
一人になったぼくはまだ自由だけれど、自由が少し狭くなったような気がした。
04月06日(金)
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