ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
[134347hit]

■でっけーなー……。
大阪某所でさる筋の人々とお会いするために出掛けていました。そのついでと言っては何ですが、ちょっと早めに出発して、某所よりもう少し遠い万博記念公園まで足を伸ばしました。「太陽の塔」を肉眼で見るためです。

これまで、何度か太陽の塔を見に行こうと考えたことはあったのですが、万博記念公園がある吹田市千里という街は、ぼくが住む街から電車を乗り継いで片道三時間も掛かる遠い街で、なかなか腰が上がりませんでした。
往復六時間もの長い間、電車という沢山の人が密閉された箱に入っていなければならないことが、複数人数が集まる限られた空間にいると不安発作を起こす可能性が常にあるぼくには大変な難関で、一人で行くのはかなり危険だ、という理由もあります。遠くへ出掛けるのが面倒とか、旅費が嵩むとかいう理由もあります。
こういう諸々で随分先延ばしにしてしまっていたのですが、別件で大阪へ出掛ける機会があったことと、死ぬ前に一度は実物を肉眼で見ておかなければならないという義務感にも似た気持ちと財布の余裕などの条件が重なって、ようやく実現したのです。

昼下がりに自宅を出て、夕方に万博記念公園駅(大阪モノレール)に到着しました。駅の正面玄関を出ればそこが万博記念公園の敷地内で、道なりに歩けば太陽の塔が立っている「太陽の広場」に辿り着きます。ぼくは「太陽の広場」は常時無料開放されていて、誰でもいつでも思い立ったときに太陽の塔のふもとに立つことができるのだと思っていて、だから万博記念公園内の各施設が「水曜日定休」だと知っていながら今日のこの日にのこのこと出掛けたのです。
しかし、この「太陽の広場」は「自然文化園」という施設の中にあり、「自然文化園」は常時無料開放されているものではなかった、つまり、赴いたぼくは「自然文化園」に入れなかった訳です。

「太陽の広場」の正面にある門扉は閉ざされていて、あと数十メートルも歩けば太陽の塔に触れられる、そんなところで足止めを喰いました。手で触れることができません。しかし。しかし。
門扉の前に立って太陽の塔を仰いで、ぼくは思わず声を洩らしました。
「おお、でかい!」
「……でけえ」
「でっけーなー……」
何度も、何度も同じことを口に出してしまうくらいに、見れば見るほど、大きいのです。岡本太郎という人は何と途方もないものをつくってしまったのだろう、とぼくはその場でどうしようもなく困ってしまいました。

でっけー太陽の塔
万博記念公園駅前から見る太陽の塔
ぼくが生まれた年に大地に立った太陽の塔。あまりにも有名なそれを、ぼくは確かに知っていました。しかし、ぼくが知っていたのは画面の上に平らに縮小されたものに過ぎなかったのです。それは発光体の上であったり、紙の上であったり。そんなもので知ったつもりになっていた自分を、叱りつけたい気持ちが身体一杯に奔騰しました。
でっけーのです。途方もなくでっけーのです。
物理的には高さ七〇メートル、接地部分の直径が二〇メートルに過ぎない(とはいえ、闇雲に大きいのはほんとう)のですが、近くで見ると、もっと大きく見えます。それは物理的な大きさだけを感じているのではないのでしょう。手で触れられる場所で見たら、きっともっと、もっと大きい。

門前で眺めることしかできませんでしたが、訪れてよかったと思いました。三〇分ばかり、西陽が強くはげしく照りつける門扉の前で、ただ、ただじっと見上げていました。動けなかったのです。
べらぼうに途方もなく巨大な太陽の塔は、街を見下ろしているのではなく、広く広く見渡しているように見えました。そして、眼に見えない何かを、電波のような熱のようなものを絶え間なく放射しているように見えました。この近くに住んで、毎日、太陽の塔を見ていたら、身体の悪いところが全部治ってしまうように思いました。
太陽の塔を見に来た或る老夫婦が「生命を質に置いても来てよかったね」と述べ合ったという逸話が残されていますが、それが得心できました。


[5]続きを読む

07月26日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る