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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■気付いてないだけよ。
ぼくが利用しているトレーニングジムにはテレビが一台、備えつけられていて、ぼくがいつも利用する午前中にはフジテレビ系のワイドショウが流れている。誰が決めた訳でもないけれど、毎日そのチャンネル。
ぼくが通いはじめた一年ほど前には開館直ぐの時間なんてぼく以外にだれも利用していなかったのだけど、今年の春頃から朝一番組の人数が増えてきた。

さて、今日も朝一番組のぼくはウォーミングアップにテレビを見ながらトレッドミル(ランニングマシン)の上を歩いていた。いつも二〇分間歩く。それが終わる頃に、先月の「播磨地方の小学生男児を女児として受け入れ」の話題とこの間発刊された杉山文野さんの本の話題を絡めた性同一性障害についての小さな特集枠がはじまった。一緒にジムにいた四〇代女性と五〇代男性各一人が、それぞれに運動をしながら割りとしっかりそれを見ていた。案外、興味を持って見て貰えるものなんだなとこっそり感心。

ぼくはその時間枠がはじまって間もなくトレッドミルを降りてバーベルスクワットをするためにテレビに背中を向けてしまったのだけど、バーベルラックの正面には鏡があるので、鏡越しにテレビを見た。鏡の中のテレビは小さくて近眼のぼくにはよく見えなかった。
テレビを見ながら女性の方が「こういう人、割りと沢山いるよ。私の知り合いにもいる。女の人だけどフツーに背広着てたりね」と言った。応えて男性が「女の子なんやろ?」と問うと女性は当たり前のように「うん、女の子なんだけど男の恰好してるの」。
どうも、ただの(性別違和を伴わない)異性装と性同一性障害をごっちゃにしてしまっている雰囲気だ。そして、こんな風に大声で話しているということは、中核群に含まれる当事者が直ぐ傍でバーベルを担ぎ上げているなんて思ってもいないんだろうな。

ぼくはその性同一性障害の当事者で、戸籍の上では女性なんですよ。

そう言ったらこの人たちは吃驚するだろうか。或るいは、冗談としてまともに受け取らないかもしれない。まだ一般には性同一性障害は「ここではない何処か」の御話でしかなさそうだな、と思いながら吃驚させようとするのはやめておいた。
「何処か」ではなく、「直ぐ傍」に当事者がいる「可能性」も、一般の人が考えられるようになるのは、いつのことだろうね。ぼく個人の勝手な言い分では、こんな状況も何だか隠れんぼしているみたいでおもしろいんだけど。


【今日のよく言われる】
ぼくは見掛けからは年令が判りにくいらしい。よく訊かれる。「いったい年、幾つなんですか」って。
06月08日(木)
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