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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■簡単にできる難しいこと。
「食事」というものは、「料理」や「小道具」や「空間」というモジュールを組み合わせてつくられるひとつのユニットだと、ぼくは思っている。「料理」も、「素材」や「調理法」や「技術」などのモジュールが組み合わさったものだ。
だから、ひとつずつの「料理」が旨くても満足できない「食事」というものがあるし、その逆もある。
ひとつひとつの「素材」や「料理」はたいしたことがない味でも、一ト通り食べ終えたときに「旨かったな」と言葉が出てきてしまうような「食事」も確かにあるし、それぞれの「料理」が劇的に旨くても、一ト通り食べた後に「食事」としての旨さを感じられないことも、やはりある。
そして往々にして、食べることに未熟な人は料理のひとつひとつのできや旨さを云々しても食事としての旨さを上手に評価できない。
「物語」というものにも、似たことが言える。
細かな挿話のまとめ方や隠喩の含め方や修辞法のひとつひとつは巧いのに、ひとつの御話としてまとまりに欠けるものがある一方で、それぞれの技術は突出していなくとも御話として自立しているものもある。だいたい、前者は読んでいる途中はとてもおもしろく感じるが読了と同時に御話を忘れてしまい、後者は読んでいる間はさほどおもしろみを感じないが読後感が充実していることが多い。
「読む」ということは「食べる」ことに似ていて、誰にもできることのようで実は個人によってその技倆に差がとても大きく出てしまう。だから各モジュールを評価してユニットとしてのできを評価しない人もいて、後者の構造を持った物語は高い評価を受けづらい。みんな「おもしろかった」よりも「巧いな」と言いたいんだね。
しかしいまのぼくは、後者のようなものをこそ書きたいと考えている。
考えていることと、上手にできることとは勿論別のことだ。
【今日の苦笑い】
煙草の箱に書かれている警告文は、どうしてわざわざ不味い文にしてあるんだろうね。
04月16日(日)
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