ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■観た…。
納得いかねーっ!
昨日レイトショーで映画「ローレライ」を観てきたんですよ。結局原作は文庫版第一巻のみを読んだだけで劇場に赴きました。エンドロールがはじまった途端に思わず口をついて出たのが冒頭の言葉です。
結論としては「原作は読まないで先ず劇場版に当たる」のが正解だと思います。原作を先に読んでいるとどうしても「映画と原作を比較」してしまうから。それではおもしろい「かもしれない」ものもあんまりおもしろく感じられないのではないかと思います。
まだ原作を読んでいなくて、映画を観に行こうかと考えている方は「先に映画」をおすすめします。映画を観たら厭でも映画で語りきれなかった部分を知りたくなると思うから。
どだい、あの原作量を二時間強に収めようというのが無理な話なのだろうから、多少のことは目をつぶらないといけないのだろうとは思うのですけどね。
それにしたって総上映時間二時間〇八分、一時間を経過した辺りから「それはないやろ」と呟いてしまうこと数回、何ともはや、よくもまあこんな脚本にOKが出たなと、身体が捻れるくらいに首を傾げますよ私は。
まだ御覧でない方には「観るな」とまでは言いませんが、一八〇〇円と交通費とを支払って観たら腹が立つかもしれませんよ、とは予め言っておきたいです。私はレイトショー料金一二〇〇円で観たのでまだ何とか憤りに忘我するまではいかずに済んでいますけれどね。
一ト口で言うと「新世紀エヴァンゲリオン+沈黙の艦隊+天空の城ラピュタ÷2」という感じ。
CGがきれいだったな……きれいなだけで、CGは所詮CG。ほんもののセットには敵わないのだわ。艦内はきちんとセットを組んでいるのに、伊507のフィギュアを海洋堂につくらせているのに、何故たとえ張り型でも外観までセットを組まないのだ。何故ミニチュアを数種つくって「特撮」をしないのか。その方がずっと迫力ある映像になったと思いますよ。何でもデジタライズすればいいってものではないでしょう。潜航シーンは撮影があまりにも難しいだろうからCGになるのは仕方がないにしても。。
「沈黙の艦隊」が何故実写映画にならないか、その理由が判った気がしました。
モブシーンに富野由悠季監督を出したり、パウラの水密服デザインに出渕裕氏を起用したり、爆撃機のノーズアートデザインに押井守氏を起用したり、モックアップやフィギュアの制作に海洋堂を起用したり、そんな細かいところで凝るくらいなら、そもそもの脚本の骨組みからしっかりつくってほしかったよ。聞いた途端に「説明どうも有難う」と思わず頭を下げてしまう台詞連発。何のための映像だ、と思うこともしばしば。
人物のひとりひとりが、原作では「端役はいない」というくらいに描き込まれているのに映画では「物語を進行させるためのコマ」でしかなくなってしまっているのも哀しい。何だか俳優さんたちが可哀想に思えた。
勿論、「映画ならでは」の表現法を用いている部分も多数ありましたけどね。
原作の福井晴敏氏は脚本の決定稿を読まれたのだろうか。そんで納得なすったのだろうか。もしも私が福井氏の立場にあったなら、この脚本では絶対にOKを出さない。「諸般の事情」でOKを出さざるを得ないとしたら、原作者の特権を濫用というくらいに駆使して「映画は○○○○○ないですよ」と吹聴してまわるだろうし、それさえも許されないなら「ダーティペア」のときの高千穂遥氏のように散々制作サイドに抗議した上で「原作と映画は別ものですから!」と公言してまわることと思う。
ちょっと調べてみると、この作品は「映画になること」を前提としてつくられたらしい、ということが判った。映画制作サイドから「こんな映画をつくりたいから原作を書いてよ」という依頼のもとに福井氏が小説を書き起こしたのだという。
だとしたら、福井氏は映画にするには情報量の多すぎる大掛かりな原作を用意してしまったということになる。
文庫本四分冊、ハードカバー上下巻のボリウムの御話を二時間にまとめるなんてどだい無理な話ですよ。ドラマ一時間枠を五二本(四クール=一年)掛けて放送、というのが物語を語り切るには妥当な方法だったのではないかと思う。せっかくフジテレビが絡んでいるんだからね。
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03月20日(日)
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