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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■図記号。
そして「見本』を示す仕事まで請け負っちゃいないンです」と石井マークさんが仰る一方で、「スカートをはいた人のシルエット」によって「女性」を表すという図記号は、「女性は必ずスカートをはいている」という「見本」を、女性にも女性でない人にも示すという仕事を確かに請け負ってしまっています。

それは女性の図記号をつくった人にそんなつもりがあろうとなかろうと、です。それが証拠に、ユニセックスファッションがポピュラーになって久しいというのに、いまだにスカートは「女性の衣服」という固定概念から解き放たれることがありません。

もちろんこれは図記号だけのせいではありません。しかし、「スカートによって女性を表す図記号」が長らく日常の中に入り込んで、人々の意識に刷り込まれる一因になっていることは確かでしょう。

この点については石井マークさんも仰っています。
「『ステレオタイプ』な男女表現が『学習性』によってトイレの図記号として認知されてきた経緯はありましょう」

トイレの図記号に限らず女性の図記号が「スカートをはいた人のシルエット」ではなくなる、ということがないことには、たとえこの世の女性のすべてがスカートをはかなくなっても「女性=スカート」の認知は人からなくならないのではないでしょうか。これが各人の好悪にとどまらず、「苦痛」や「苦悩」までも生み出していることを、図記号をつくっている人は、石井マークさんは、おそらくご存じない。

「『人間とは必ずこうあれという見本』を示す仕事」を負えなどとは申しません。むしろ逆で、「こうでなくてもいい」ということに加担してほしいのです。「スカート」という衣服のかたち、即ち「女性ではないもの」で女性を表すのをやめる方法を考えて頂きたいのです。

石井マークさんのTw8つめをまるごと引用させて頂きます。
「何かの目的の為に設計されたグラフィックシンボルには、常に『何の為に・誰の為に』というファクターを切り離せませんし切り離すべきでありません。
表現が適切か否かの基準も、本来の目的を担保するか否かに繋がっています。
『誰の為に』をガン無視した人の『配慮』ばっかり聞いてても仕方ねえんです」

図記号は「誰のために」?
図記号を使う人のためにではないのしょうか。「スカート=女性」の図記号によって傷ついたり苦しんだりしている人も、やはり図記号を使わざるを得ないのです。「配慮」を求めたいこの人たちは「『誰の為に』をガン無視した人」ではないのではないか、と思うのですが、どうでしょう。そして「配慮を求める」ということはいけないことなのでしょうか。

石井マークさんはTw7つめではこのようなことを仰っています。
「とはいえ男女別の脱糞・放尿シーンをリアルに表現する方が「配慮」だといえましょうかね」

この仰りようはおそらく皮肉なのだろう、ということは拝察するのですが、図記号における性別の表現について、図記号をつくるプロとして限界を認めなさったように解釈できてしまいます。

「男女別の脱糞・放尿シーンをリアルに表現」する図記号を拵えなくても、トイレの男女別は図示できるでしょう。現在のトイレの図記号はそうですよね。男性の図記号と女性の図記号がある。女性を「スカート」という「女性ではないもの」を使うことなく表せば、「脱糞・放尿シーンをリアルに表現」しなくても「配慮」につながるはずです。

「スカート」という特定の衣服を着けた人のシルエットを用いずとも、女性を表現する方法はあるのではないのでしょうか。男性の図記号は「ズボンをはいた人」では表現されていないのだから。

ということを考えて、もやっとしていたのです。うにうに。


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03月10日(日)
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