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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■雑に。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は「新世紀エヴァンゲリオン」をREBUILD(再構築)したものである。REMAKE(つくり直し)ではない。それ故に旧作と同じに見えて決して同じではない。新劇場版の前作"序"では過去作の要素と新要素がそれぞれ5:5くらいで、人によっては鑑賞後に「何処が(旧作と)違うのか判らん」と洩らすこともあった。
しかし今作"破"は、明らかに旧作とは異なった方向を目指していることが判る。陰鬱ですべてにおいて受動的厭世的、絶望が随所に織り込まれ狂気が直ぐ傍にあった旧作と大きく異なるのは、何より主人公碇シンジが能動的で意志が強く朗らかでさえあることだ。それは前述した「拓けた未来への予感」を強くする。
そして「イレギュラー」とも言える新キャラクタの登場。旧作には存在し得なかった位置づけ、性格づけの少女の登場により物語は大きくうねり、これまで辿ったことのない方向へ進もうとしている。エンドロールを観た後に「早く次作を」と思うのは無理からぬことではなかろうか。
ただ、碇シンジが能動的に行動するようになったのと同時に、彼に降りかかる事件は旧作よりも一層彼自身にとってつらいものが連ねられている。シンジの意志は今後貫かれるのか挫かれるのか、待て次巻。
・謎は謎のまま。判らないことだらけだが、それは一時棚上げしておいて「動」の部分を愉しむがよかろう。
旧作はすさまじいまでの情報量の割りに解かれぬままの謎だらけのまま終局を迎えた。その謎が今作で詳らかにされると期待している人もあるようだが、現段階ではその様子はない。むしろ旧作より謎の要素が増えている。
しかし、「謎解き」に捕らわれていてはこの作品の真価を見逃してしまう。「謎」は物語の一部である。物語を読み解くことも大事だが、この作品が「アニメーション」であることも忘れぬようにしたい。作画の確かさ、動画やCGのダイナミックさ、描写の妙、音響の迫力を自身の持てる感覚すべてを動員して体感すべきである。
私が最も感心したのは、シンジと父ゲンドウの墓参の場面だ。二軸の回転翼機が飛来する。ホバリングでゲンドウを迎え、そのまま上昇して飛び去る。ローターの騒がしさ、ホバリング中の回転翼機の細かな揺動、上昇し、機首を返して飛び去るときの機体の不安定さ、近づいて空気を砕くブレード、やがて旋回して遠ざかるローターの音。劇場で観てよかったと思う。
"破"公開前に"序"が地上波放送されたが、それを観たときも「劇場で観ておいてよかった」と思ったものだ。映画は、劇場で観るようにつくられている。
―――と、メモ書きはこれだけ。観賞中はもっと沢山のことを考えていた記憶はあるのだが、考えていた内容は憶えていないんだな_ノ乙(、ン、)_
■二〇代半ばくらいまでは、書きたいことが身体の内から溢れて溢れてプロットを書きとめた分厚いリングファイルが二冊あった。しかし、書きたいことは沢山あったが、それ等を書き表すための能力が足りなかった。巧く書けなかった。最後まで書き上げる能力も拙かった。
それから一〇年以上経ち、或る程度のものは書けるようになった。技倆や経験や能力が増してきた御陰で、思いついたものは大抵文章にすることができる。しかし、十数年前まで溢れていたものが身体の内から出てこなくなり、「何か」が天から降ってくるのを待つしかなくなってしまっている。
どちらが、と考えるのは不毛なこととは判っているつもりではあります。
■はんにゃらようじょ!
【ニコニコ動画】【鏡音レン】ベンゼン【癒し系洗脳ソング】
ずんだらもちいそぎんちゃくべんぜんべんぜん。
「ずんだらもち」の語感が気持ちよくて好きだ。さあ発音してみよう!
続編「ニトロベンゼン」も味わい深い。
■今日見つけた名言。
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。
(カール・ヒルティ/スイス/哲学者)
09月18日(金)
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