ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■散髪と。
ほかに、「男性として」理髪店を利用するようになってから問われるようになったことがあります。
顔剃りのときに「眉の下、剃りますか?」って。
「女性として」理髪店を利用していたときも顔剃りは御願いしていましたが、このようなことは訊ねられたことがありません。店舗によって違うのだろうかとも思いましたが、男性として行けば理髪師さんは顔剃りの際に必ずお訊ねになります。「眉の下、剃りますか?」或るいは「眉の下、どうされます?」と。
よく判らないままに「はい」とか「御願いします」とか「置いといてください」とか気分と話の流れにまかせて答えていましたが、「眉の下を剃る」ということがどういうことなのか、私は知らずにいました。
これは、私が知り得ずにこれまで過ごしてきてしまった「男性の文化」なのかもしれない、と思っていました。このようなことに出会うと多少心細くなる性同一性障碍当事者は私だけではないのではないでしょうか。
私ども性同一性障碍当事者は、生まれついた身体の性別と自認している性別が異なるために、生まれてから思春期を終える頃までは(或るいはもっと長い間)異性として生活することを余儀なくされます。その間に社会的に学ぶ習慣だとか慣例だとか経験だとか、そういったものを学べないまま成長してしまい、ネイティヴ男性(或るいはネイティヴ女性)が身に着けている「文化」を知らないまま、私どもは彼等彼女等の仲間入りをします。
たとえば、男性であれば
「中学校の体育の時間にやった倒立前方回転跳びは怖かったよな」
「あ、俺あれ得意だった」
「踏み切り失敗して頭から突っ込んだ奴がいて、それ見てから怖くて駄目」
などという「共通の話題」が意志とは無関係につくり上げられていて、生まれたときから男性として生活してきた人たちは意識しなくてもその会話に参加できたりするのですが、男性としての人生に「途中参加」の、たとえば私のような性同一性障碍当事者は中学校のときに体育の授業で倒立前方回転跳びをやったことがないために、心許ないながら適当に話を合わせるものの巧く会話に溶け込めているかという不安と、自分だけはそれを経験していないという疎外感とを味わったりします。
(※上記段落のたとえの前提は、私個人の経験です。特に一般的なことがらという訳ではありません。
私が中学一年生のときに体育の授業で取り上げられた器械体操では、男子は倒立前方回転跳びを、女子は台上前転を習いました。同じ体育館での授業で男子が跳び箱の上をぽんぽん跳んだりまわったりしているのを見ていて私は怖ろしくてならなかったものです。)
長い長いたとえ話になりましたが、ここで御注目頂きたいのは、たとえに出しました「倒立前方回転跳びの怖さ」と、理髪店で男性にだけ問われる「眉の下」は、同じ性質のものではないか、ということです。
男性は成長の過程で「眉の下」に女性にはない何らかの特徴を帯びてくるものであり、女性の与り知らぬところでそれを調整する或るいは調整せねばならぬ苦労があるのかもしれない……。
とか何とか思っていたんですけどね。
調べてみましたら、多くの男性が「眉の下」については「疑問に思いつつ知らないまま」だということが判りました。なーんだははは。
「眉の下を剃る」≒「眉のかたちを整える」ということらしいです。
じゃ一律みなさんやればいいじゃありませんかと思われる方もおられるかと思いますが、「眉を整えたらイヤン」という人も中にはいるので問答無用で眉の下を剃ってしまうとクレームが付いたりもするんですね。だからいちいち「剃りますか?」と訊ねる訳です。
私が「眉の下」について考えていたことは取り越し苦労だったということです。こういうことも、儘あります。
あと、理髪店ではなく性同一性障碍に関わることを、も少し。
この頃「性同一性障碍」という言葉だけは一般に行き渡っていて、当事者や関係者でない人もこの疾病や当事者についての文章を書いていて、その一部を私も目にするのですが、気になることがあります。
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08月22日(土)
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