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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■考えずにはおれんのだが。
「難解である」ことと「不親切である」ことは違う。大抵の物語は難解であっても理解するに必要な道具はすべて物語の中に組み込まれている。そうでなければその物語は破綻していると言える。
そのように、すべてがきちんと構築されているはずの物語を「判らない」と言うのは、「物語に組み込まれた、理解するに必要なものを探し出す」能力や「理解するに必要なもの」を使って「物語を理解する」能力に乏しいと言っているのと同じことだ。作者に文句を言ってはいけない。
逆に、作者も自分が物語に組み込んだ要素によって自分が考えるのと違う解釈をされてしまったとしても、それを決して訂正してはいけないのだ。

というようなことを観終わってからいままでずっと考えているのだが、お読みになってお判りの通り、この考えはまとまってはいない。おそらく、一人で考えていてもまとまりきらないのだろう。
それは、「序」を観るまでのぼくがこれ等のことについて考えるのを休んでいたことからも判る。「自分ではない誰か」が「自分」を構築するためには不可欠なのだ。

取り敢えず、「ヱヴァンゲリヲン」という文字列はタイピングしづらいので何とかならないか、ということと、上映が終わった直後にぼくの傍を通りかかった学生と思しきお嬢さんが「何処が違うのか判らん」と言っていたので「全然違うやろうが!」とグーで殴りたくなったということは、憶え書きとして残しておきたい。

作品表題に付いている「序」とは能や雅楽の構成である「序破急」の第一段階である。続いて「破」、「急」と続くのだが、「破」において早くもテレビ放映版では見られなかった展開が待ち受けている。物語をじっくりつくり込むという点でも時間は必要だが、もしかしたら庵野監督は「序」が受け手の体内で熟成するときを待っているかもしれない、と思った。
「ヱヴァンゲリヲン」は四部構成である。「急」の後には何が待ちかまえているのか。「急」の次も、サービスサービス!(ミサトさんはいつも何をサービスしているのだろう)


【今日の自ら】
ホットマンゴーオレを飲む。アイスの方がおいしかったことよりも同じ値段でホットの方が半量だったことが悔やまれる(氷の分少ない)。

09月11日(火)
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