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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■ぎゃぼーっ!(撮影その1)
ぐだぐだのままショパンを弾き終えて、ぐったりするのだめ。続いて演奏するはずのドビュッシー「喜びの島」を弾きはじめる様子がない。どうしたのかとざわめく観客。そわそわするハリセン江藤先生、そして千秋センパイ。うつろなのだめは観客席の方(ハリセンがいる方)へと視線を向けるが、その視界には千秋センパイが。我に却ってドビュッシーを弾きはじめるのだめ。千秋センパイを見つけたのだめはよろこびに満ちて「喜びの島」を弾く。その演奏にうっとりと聴き入る観客。演奏が終わると場内大喝采!
……という場面を、一〇時三〇分から一五時の間に撮影したのです。この場面だけを、いろいろな角度から、何度も同じことを繰り返して撮影するのです。
撮影はカメラを二台使用しますが、お互いが映り込まないように、かつさまざまな方向から撮影しないといけないので、カメラの位置を変えつつまったく同じ演技を何回もして、複数の視点の撮影をすることになります。
たとえば、のだめの背中越しにのだめの正面上方(二階席)にいる悠人くんを捉えたり、悠人くん視点でのだめを見下ろしたり、ピアノを舐めてのだめの表情をアップにしたり、客席から(千秋視点で)ステージを捉えたり、或るいはのだめ視点で客席を見たり。
このように視点が変わるので同じ場面を何度も撮影することになりますし、一回の撮影の度にリハーサル、カメラテスト、本番と同じことを繰り返します。とても時間がかかるのですね。撮影前の前説(事前説明)でスタッフ氏が「九話の放送が終わったのにまだ一〇話の撮影やってまーす」と半ばネタとして仰っていましたが、これだけ手間がかかればぎりぎりにもなるよな、って。
何度も同じことをするので混乱したのか、或るときには本番カットの声がかかったところで上野樹里嬢が「あ、いまの本番だったんですね」ととぼけたことを仰いました。とぼけ具合いがのだめテイスト。
こういう台詞が出てくるということは、リハーサルもテストも本番も同じ気持ちの入れ方で御芝居しているってことですよね。テストだから、本番じゃないからって手を抜いていない証拠です。流石。
樹里嬢は、実は素からのだめっぽい人のようで。
撮影と撮影の間、機材の移動の時間などで現場で待っていなければならない間、ずっとピアノにさわっているのです。じっとしていない。御芝居に必要な演奏の手振りを練習したり(このときは鍵盤を叩いて鳴らさない)、実際に鍵盤を叩いて音を鳴らしてみたり、何か弾いてみたり(ピアノを習っていたことがあるそうです)、ときどき観客席に手を振ってみたり、とにかくじっと待っているだけということがない人でした。
ちなみに撮影用のピアノは音は出るものの、響かないように調律してあるみたいです。大きな音が出ない。
この撮影は主にのだめの演奏の場面なので、のだめ、千秋、ハリセンの三人が登場しますが、台詞らしい台詞がありません。ショパンを弾き終えたのだめがうわごとのように呟く「千秋センパイ……ドビュッシー……」だけです。
だから客席で演奏を見ている千秋役玉木宏さんは台詞がなくて、また観客の一人としてすわっているだけのときはすっかりエキストラの中に溶け込んでしまっていて、席の位置を知っていても探さなければならないほどでした。「千秋くん溶け込みすぎ!」と何度か胸の奥で突っ込んでしまうほどでしたが、いざカメラが向いて、ステージ上ののだめを心配する演技をはじめた途端に昇り立つ役者オーラには息を呑みました。しかも台詞がないのに心配と安堵を短時間に表現しなければならない演技ですよ。遠目に見てもすばらしかった。
すわっているだけのときは(私から見て)遠くにいるハリセン江藤役の豊原功輔さんの方が存在感が強くて判りやすかったのですが、芝居がはじまると何のそのです。
私は玉木さんの外観から想像するより低めの声が好きで、声が聞けないのは残念だなあと思っていたのですが、一度だけスタッフとのやり取りで喋る声を聞くことができました。
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12月13日(水)
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