ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
[134347hit]

■正義は正しいか?
信者たちは誰も倖せになりたくて、或るいは周囲の人を(自分が倖せになった方法で)倖せにしてあげようとしている。「騙されている」とは思ってもいないだろうし、おそらく思いたくない。たとえ眼にした「奇蹟」が「奇術」に過ぎないとしても、それが判っていても、それを「奇蹟」と信じていたいのである。
「信じていたい」即ち「騙されていたい」人たちに「騙されるな」と真実を明かしてしまうことは、果たして正義だろうか。もしも正義であるならば、正義は必ずしも人を倖せにするものではなく、ときには不幸にすらしてしまう、ということにはならないだろうか。
ついでに関係があるようなないようなことを言うと、手品はタネを明かさないから手品として愉しめるのであり、手品の窮極の目的は「人を愉しませること」である。

「TRICK」では、主人公の上田と山田は、必ず「奇蹟は奇術に過ぎない」ことを暴いてしまう。そしてそれを依頼した者たちには一応は感謝される。しかし一方で、暴かれたことによって困る人たちがいることが必ず描写される。主人公たちはストーリイの序盤に提示された目的を果たすのだが、それがために苦境に立たされる者があり、ときには恨み言を残していく。
これが「TRICK」の後味の悪さの正体である。自分が倖せになることで他人が不幸になることもあるし、正義と思っての行ないが或る人たちには害にしかならないこともあるのだ。
しかし、シリーズを通してこの後味の悪さは、ラストシーケンスで一時的に忘れることができるように構成されている。クローズアップはされない。この御陰で観客は取り敢えずは「おもしろかった」とこの作品を観たことをよろこぶことができる。これが「TRICK」という作品のトリックだと言える。その後、何を思うか何も思わないかは観客次第ということになる。

とにかくサービス精神旺盛な作品である。木だけを見て森を見ないのもまた一興かもしれない。
この作品が、私以外の大勢にとってもおもしろい作品だったのだと確信できるできごとがあった。私がいつも利用するシネマコンプレックスは週末のレイトショーにはあまり観客が入らないのだが、この作品は封切から日にちが経っているにもかかわらず大入で、しかも、エンドロールが終わって客席の照明が点くまで観客が誰一人として席を立たなかった。ほかのどんな作品も、エンドロールが終わるまでには何人かは退場してしまっていたというのに。それだけ「TRICK」がおもしろかったということなのだろう。何処にどんな仕掛けがあるか判らない作品なのでフィルムが終わるまで見逃せない、という理由も勿論ある。

映画ポスターの図柄の中心にいる割りにはほとんどいないのと同じだった矢部刑事。出番が少ないからせめてポスターでは真ん中に、という配慮だろうか。
同じ方向を向いて並ぶ上田と山田。山田は前方の何かを指差している。この図は劇中にも登場するが、劇中と異なった部分もある。街でポスターを見掛けたら山田の指先をようく御覧あれ。
劇場に見に行ったら、パンフレットは必ず買おう。愉快な特別付録あり。

お終いに雑記。「TRICK」を観るといつも書道教室に通いたくなる。どんどん書けー! がんばれ次郎号。冒頭に登場するジャスパー・マスケリンは実在の人物であり、言うまでもなく終盤への伏線である。

【今日の発見】
和装で自転車に乗っている御婦人を路上で発見。「着物で自転車」が可能なことだとはじめて知る。

07月10日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る