ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■ヤなガキだったんだ。
それを通して判ったのだが、父親はぼくをかわいがって育ててきたつもりでいたらしい。或るとき、ぼくに向かってこんなことを言いやがった。
「俺はお前に怒ったことなんかないだろう」
「は?!」と甲高い声が頭の天辺から出そうになった。よくもぬけぬけと吐かしやがったなこのジジイ、と思った。

いまでは「厭な子供だったなあ」とか「うちの父親はこんなことを吐かしましてね」と笑って他人さまに話すこともできるのだけど、当時のぼくはほんとうにきゅうきゅうと見えない狭い筺の中に手足を折りたたんで押し込められているように苦しかったのだと思う。
「だと思う」と自分のことなのに推量なのは、当時のぼくは「苦しい」とか「つらい」とか思ったことがなかったからだ。幼い頃から長い時間その状態だったからそれが当たり前になっていた。「厭な子供であること」も当たり前のことで、だから「厭な子供だった」ことに最近まで気付かなかった。

で、最初に受けた質問に戻る。ぼくが二度に渡って長期入院しなければならなくなった鬱病は、GIDが原因なのかそれ以外のものが原因なのか。
そうでありそうでない、と言えるのではないか。ぼくはそうお答えした。GID当事者であるために感じた抑圧もあるのだろうし、しかしそれよりもぼくは父親からの抑圧の方を強く感じていた。そのために社会性に乏しい子供に育ち、更にそのせいで社会の中での生活をつらく感じてもいた。原因をただひとつの事象に特定することには無理がある。沢山の小さな原因が集まって大きな結果になったのだと考えるのが妥当ではないだろうか。
窮極突き詰めてしまえば、ぼくが患った原因は「ぼくが生まれてしまったこと」でしょう、とお答えした。ぼくがこの世にいなければぼくの苦しみもこの世になかったでしょうし、それならばぼくが鬱病になることもなかったでしょうし鬱病になったぼくもいなかったでしょう、と。

でも、それは、生まれて生きる間に苦しみがあるのは、ほかの人たちも同じでしょう、それなのに鬱病など精神の病に罹らない人もいますよ、と御質問なすった方は仰った。だから、ぼくはこうお答えした。
同じように生まれても、風邪をひきやすい人なかなかひかない人、虫歯になりやすい人ならない人、日焼けしやすい人焼けない人、いろいろいます。その沢山のいろいろな人の中の、ぼくはたまたま鬱病になりやすい人だったのでしょう。
そう答えると御質問くだすった方はようやく納得なすったようだった。

ついでに言えば、ぼくは鬱病になりやすい人に生まれたこともGID当事者として生まれたことも、決して損だとは思っていません、むしろ幸運だったとさえ言えます、と付け加えておいた。これは決して負け惜しみではない。
精神科への入院は鬱病にならなければきっとしなかっただろうし、性別適合手術もGIDでなければきっと受けなかった。これ等を実体験できたことをぼくは愉しく思っているしその分人生得していると思っている。矜るようなことではないとは思うけれど、負い目を感じたり恥じたりすることでは決してないと思っている。
だからぼくは精神障碍者であることもGID当事者であることも隠さない。わざわざ喧伝するようなこともしないけど。


【今日の判断能力低下】
船越英一郎さんか萩原流行さんか、一ト目では見分けられなくなってきたよ。

03月20日(月)
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