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河村隆一活動日記
by せい
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■αマンスリーカラーズ2回目
じゃあ早速河村隆一ストーリー編をスタートさせましょう。出身地、神奈川県大和市。最初は下鶴間という所に住んでいて、小学校はリンカン小学校。コンクリ−トで出来た大きい滑り台があって、ジャングルジムがあって、校庭に何て言うか、レスキュ−隊??消防士さんが降りてくるような長い長い棒??今でも公園とかにあると思うんだけど、それで友達と上って、「俺が先だ」「お前が先だ」とか喧嘩もした。それから引っ越して大和市内でもすぐそばの西鶴間。小学校まで割と近くて・・・そうだな−10分もかからなかったかな。リンカンの時は結構歩いた記憶があるけど、5分とかかな??学校行く途中に、他人の土地の中なんですけど、小さな森??みたいのがあって、その森の間の細い道を通って学校に行ってました。学校は桜の木がいっぱい。春先になると毛虫の毒で手がぼろぼろになりましたね。虫かごに入れて森に持っていって放したり。小さいころは色々やった。くわがた取りやなんか、虫は平気。ざりがに釣り、鮒つりとか。5年の時に初めて音楽、プレイする方に興味を持った。親友でもあるお兄ちゃん達にビリージョエルとか聴かせて貰って。メロがいいなって。当然何唄ってるのか解らなくて、和訳を見ながら聴いていて、こういう感情を伝えるにはこういう言葉を使うんだって。英語の意味に初めて触れた。「わか」というレコ−ド屋で2本だけ古臭いエレキギタ−が置いてあって。その当時、MTVとか見て、バンド作りたいって思って。ギュイーンとかギター鳴らしたいって。唄は、好きでずっと唄ってたんですけど。で、そのギターを買ってステレオのヘッドフォン端子にシ−ルドつないでみたら…ポロロンととても美しい音色しかしない。ぎゅわ−んと歪んだ音がしなくて、故障してるんじゃないかと。先輩とかに色々聞いて回って、アンプに繋いでエフェクタ−がないと鳴らないって知って。音楽って、全然未だ浅いんだけど(笑)深いなあ、と、浅い段階で思ってました。色々未だ知らないことはいっぱいあるなと。14歳の時から先輩に呼んで貰って。学園祭でモッズとかサザンとか歌ってて、高校の学祭にも行きました。14歳の時にオリジナルを作ろう!!と思って、引越しの時にもうなくしたけど、テープに録ってました。そしてスロ−タ−というバンドを組んだりなんだかんだとして、18、9の時にLUNACYのメンバ−と出逢って89年結成。インディーズの時はとにかく走りまくり。で、変なおじさんが近づいてくるなーと思ったらSWEET CHILDの阪上さんで。神戸の人で怪しい関西弁。「あんたら売れましゅよ」なんつってね。LUNA SEAを支えてくれた。第6、7のメンバ−。走っていたら、動員もかなり増えてきて、今で言うとエクスタシ−ジャパンですね、其処からLUNA SEAというインディーズ盤出して、かなり売れて、レコード会社は10何社来まして。その内から好き勝手やらせてもらえる所にしようという事でMCAビクタ−、今はユニバーサルビクターとか色々名前がありますが、そこからメジャーデビュー。最初はメジャ−という所で悪い大人達に騙されるんじゃないかと(笑)、回りから見れば態度デカイバンド(笑)。でも1、2年で、本当に僕らのことを考えて、仕事してくれてるんだなあって気づいて。ツアーとかやってたのを思い出します。そしてLUNA SEAでずーーーっと走ってきて、97年にソロをやり、終幕し。ソロでも色々な曲が生まれてきたんですが、LUNA
SEAがなければ河村隆一のソロも無かったんではないかと、思います。ここで、97年に1枚アルバムを出したんですが、そのアルバム、「Love」から、「BEAT」そして、「小さな星」です。(曲)
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07月08日(日)
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