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ドラマ!ドラマ!ドラマ!
by もっちゃん
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■キス!キス!!キス!!!〜True Love〜
やっと舞台ライフが幕を開けました。2002年初芝居は、内野聖陽vs秋山菜津子による、tpt(シアタープロジェクト東京)「ブルールーム」。これは、幕開けにふさわしい面白いお芝居でした。

 1900年、アルトゥール・シュニッツラーが書いたプライベートな「輪舞」という作品は、1950年、マックス・オフェルスにより「La Ronde」という映画になり成功した。(この作品には「夜ごとの美女」で大好きなジェラール・フィリップが出ているというので、さがして観てみたい!)そしてロンドンでデヴィッド・ヘアーの脚色で「The Blue Room」として舞台化を経て1998年、ブロード・ウェイでニコール・キッドマンとイーエン・グレンによって111回公演がうたれた。そういう経歴があるので、ご存知の方も多いかもしれない。

  5人の人物が10の場に登場する。少女とタクシードライバー。タクシードライバーとホームステイしている留学生。留学生とその家の息子で学生。学生と人妻。人妻とその夫である政治家。政治家とモデル。モデルと劇作家。劇作家と女優。女優と高貴な男。高貴な男と少女。そう、それぞれのスケッチが断片的に描かれ、ラストは、最初の少女に戻る。まるで輪のように。それを演じる役者は2人。

 断片的なスケッチとは、男と女の性的な関係の断片を取り上げている。男と女が出会い、時に川辺やキッチンテーブル、楽屋のソファ、主にベッドでセックスに至るまでを描き、悦楽の到達までは暗転。一瞬にして最短0分から最長2時間以上までの時間を電光掲示板で知らせたあと、その暗転はすぐ明転し、セックスのあとの情景になる。(電光掲示板が安っぽかったので、違う手法にして欲しかった)

 セックスシーンそのものは、ほぼない。いたすまでの会話やキスから、一瞬の暗転を経て、だいたい男のあらい息ではじまる。それまでの会話、そのあとの様子、そして時間。それで説明がつくかのように。おそらく、ポルノグラフィに重きをおき、「前衛」「挑発」「猥褻」を狙うものではなく、「どうして男と女は欲望を手に入れるか」「恋しさは欲望が満たされればなくなるのか、増すのか」「男と女の関係の不思議」などという、永遠に解答のない距離についての、スケッチの連鎖のように思える。

 演出のデヴィッド・ルヴォーは「センセーションを狙うつもりはないが、いかにして恋しい相手と関係を築くか、これを探求する事で生命力を持つ芝居になりうる。非情に演劇的であり、官能的な芝居にしたい。」と述べている。

 セクシャルなスケッチの連続。特にそこに物語はない。ただ、背景を読み取る事は可能。そして、どの男女もが、ほぼ同時に別の男女と関係を持っていることでこのスケッチの連鎖はできあがっている。

「女はキスをねだる。」最初に思い浮かんだ言葉。男がねだったのは10シーンのなかで2度ほどだったか?キスをせがむ女。男は生理的欲望と征服欲?そして、もしかして愛。好きな女がいながら別の女と関係が持てるのはなぜか?女が本当に望む相手に出会ったとき、そこでさすらいは終り、彼女の魅力は失せるのか?なぜ、セックスの中に必ずしも愛はないのか?わかっていても関係するのか。本当にセックスシーンのスケッチ集。そこに生々しく生きている人間の、実は生活臭があるのかもしれない。なんてことを考える。

だいたい、「真実の愛」ってなんだろう。

 女はキスをねだる。

 5人の人物をそれぞれ演じ分ける俳優は、それ以上の回数着衣を変える。髪形も。丸い回り舞台を上手く利用し、生着替えも見せながら、それが本来裏で行われるチェンジなのか、役柄としてその場で見せていいチェンジなのか、曖昧なまま10場の切り替えは長々とした暗転もなく、小道具の転換も露呈しながら意外にスムース。本当に流れるように連鎖している。出て行く男。残る女。帰る女、訪ねる男。InとOutの利用。煩雑なようで、必ず、新しい場までには2人ともがOutしている。そして次の場へ別々、もしくは同時にIn。段取りが大変そうだ。だいたい、あの日、内野は、何度ジッパーを上げ下げしたんだ?

 


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02月01日(金)
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