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ドラマ!ドラマ!ドラマ!
by もっちゃん
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■思考の迷路
ただ、物語の終わりが、妹が気付くのが、これ映画だかであったよね・・・海で遭難、致し方ない状況とはいえ、「人を食らうから鬼」というセリフとつながるし、とはいえ、もうちょっとを期待してしまった。しめくくらなくちゃいけない作品かもだけど、受け手に放り投げる終わりでもよかったんじゃないかとか・・・。シーンはすごく綺麗で、役者がすごく素敵だったから、居たらスタオベしたに違いないけど。
■「第十七捕虜収容所」(1953米)
やっと観ました、映画。おととし?先おととし?観たの。舞台の「第十七捕虜収容所」、今はなき近鉄小劇場で。ドイツ軍の第十七捕虜収容所のアメリカ兵の一部屋に実はスパイがいるんじゃないか、って、アメリカ兵捕虜同士が疑い合うというか、収容所生活の波にうまく乗って生きてる男が疑われる、彼を疑っているから本物になかなか気付かずスパイされ続ける。アメリカ人同士でいつのまにか憎しみや暴力がうまれる。実は戦前アメリカ育ちのドイツ人がばけて潜入してたんだけどね。
舞台では疑われる男を京ちゃんがしていたな〜、ドイツ人スパイはトリビア高橋だったな〜、中立であろうとするけど、出来なくて京ちゃん殴る場面くらいから疑う、自分達が正しいと思い込む側になる総務係の男は「相棒」伊丹刑事でおなじみになった川原さんだったな〜とか、思い出しながら観ていました。
戦争のショックで話せなくなってオカリナを吹く以外は怯えている男が、実は一人、暮らしぶりがよく立ち回っているだけで疑われた男ではないと気が付いていた。
なんだかな、、、そん時も、あぁ、人間て・・・。
って思った。衝撃的な芝居を小劇場で半分しか客入ってないなんてもったいない、もっと多くの人に観てほしい作品だ!って、ぐっときたんだす。だから、映画はもっとぐっとくるはずだって思っていたら、ちと肩透かしでした。ほとんど中身はかわってないのよ、演出も。だから多分、生身の人間がそこで演じてる空間が、自分も収容所にかなり近い場所にいる気が切羽詰まって恐さを助長したのかもしれないね。
■「悪魔の唄」阿佐ケ谷スパイダース
TRで長塚圭史が語ってた。それを見返したり、パンフを読んだり、作品を反芻して書こうと思ってたんだけど、ここに今、感じた思いにツナガリがある気がするんで、書く。
作品として、長塚ワールドは「テキサス」からで、おこがましいが、独特の気持ち悪さ、不気味という意味より気持ちの置き所がさだまらない、わからないし、おさまりが悪いって感じの気持ち悪さが、好きで、江戸オンリー以外は観てる、はず。で、すごい才能だな〜と思うんだけど、作品として未成熟、未完成な感じ、その時期だから書けた、そう演出した作品だからの価値や意味もあるはずだけど、成長して練ってそれを書いたら、演出したらもっとすごくなるって気がしてた。もっとすごい状態を彼が望んだかどうかは別として。
それが「ミツバチ」くらいから話の放ったらかし感はあるまま、役それぞれが脇感少なくて主役不在な感じなままで、物語が放散せずに物語としてぎゅってなってる度が、あがってきてて、なんかこの「悪魔の唄」ではまた力があがった、すごいよ圭史さん!と、思った。ついていきます!みたいな、これからも出来るだけ見続けたい。
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03月21日(月)
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