ID:34326
ドラマ!ドラマ!ドラマ!
by もっちゃん
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■私たちが愛した男・・・・
しかし、そんな彼女と子供を半年の間、最初はいいわけもせず、捨てたと思われてもいいようなカタチで突然出て行きます。和久井からの手紙と桜の絵を残して。絵は手紙なんだろうね。それは「桜の花の頃には帰って来たい」という気持ちだろうか「桜のように散ってしまう、そんなかつて恋人だった人を、寂しく思う」気持ちだろうか。1話のラストで早くも夫と妻は再会し、そのことについて話し合う機会を持ちます。妻は「また死にそうな人があらわれたら、家族を捨てて、その人についててあげるってこと?」夫は「彼女は本当に一人で、自分の将来のためにつみたてた貯金が死ぬまでの入院費になったっていうんだよ。寂しくて」といいます。妻は「わかった」といい夫は「よかったー」と喜びますが・・・。どうなんだろう。自分が死期の近い身寄りのない自分だったら、一番会いたい人に偶然再会したら。そばにいてくれたらどんなにか幸せな時間が過ごせるだろうと思う。半年なんて時間が足りない。相手がいいというのなら甘えて、毎日きてくれるというならきてもらおう。でも、今までの生活をすべて捨てて?そうまでしてきてくれることに優越というか、格別の幸せを感じるかもしれない。それにまだ妻と子の存在を知らないし・・・。妻と子の存在を知った上で、週に一度、お見舞いにきてくれるだけでも、十分すぎるほど十分かもしれないなぁ・・・。反対に、妻は・・・夫に「お前、生きてるだろ?俺も生きるだろ?」と説得されちゃうけど、人間なんていつかは死ぬもので、誰もいつかはわからないんだよ。和久井にしたってだいたいの死期がわかってしまう病になったけれど、早まるか、長く生きるかもしれないか、わからない。妻は、彼女が「死ぬのを」待ちわびることになる自分を嫌悪するときがくるんじゃないだろうか。それに一番肝心なのは、妻も、子も、自分自身も、事故や災害で、もしくは突然の病気でいつ死んでしまうかなんて、わからないのだよ。あなたは私たちにはたくさん時間があるというけれど、そんなの本当にはわからないし、この時間は今だけなんだよ。
 したいようにさせてあげたい、半年なら・・・そう思うかもしれないけれど、たとえば、事情を話して、ちゃんと教師を続けて、家で生活して、週に1度でも2度でも、お見舞いにいけばいいじゃない?水野は甘やかしているのだろうか、甘やかすようにしか夫を愛せないのだろうか、甘やかすつもりはないけれど、感覚的に生きていて、不器用で、思いつめたらそうとしか動けないそんな彼が、愛しくて、愛しくて、仕方なくて、彼を許すのだろうか。

 私は、和久井の気持ちにもなってみる。水野の気持ちにもなってみる。そしていしだの気持ちにもなってみる。いしだは誰を待っているのだろうか・・・。まさか寺尾?その人が現れるか現れないか、もう亡くなってしまったのか、よくわからないけれど、見舞い客が、しかも特別な人が毎日生活を捨ててやってくる。和久井は「幸せが逃げる」というけれど「秘密って生きている気がする」というけれど、「秘密の少しを同室の彼女に少しわけてあげられないものだろうか」そんなことを感じてしまった。もちろん、そんな義理、どこにもないのだけれど。ほんの少し「秘密」のおすそわけをすることがいしだにとって、少しだけ自分のいる意味になるような気がした。

 
 私たちは愛した男にどうしてほしいだろう。どうしたいだろう。どうしてほしいけど、望めなくて、どうしたいけど、できなくて、そして死んでいくんだろう。そしてそこまで思う愛した男はそのとき、そばにいるだろうか、それとも過去の男だろうか。それとも、そうまで愛した男が果たして居る人生を送れているのだろうか。

 要くんが自転車で落ちたところが、救いでしたね。

10月08日(水)
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