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兼松孝行の日々つれづれ
by 兼松孝行
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■カリスマ
最近ふと思うことがあった。
どうして最近のライブでは下手から出て下手にはけるんだろう。
ハコによって違うと言うこともないらしいなあと。
ハウスミキサーの位置によるものなのかな、、、でも、人が通れるくらいのスペースが用意してあるしな、、、なんてことを考えてたら・・・そう言えば昔のコンサートって舞台セットの中やセンター奥にはけることが多かったよなあ、ってことに気付いた。
それはひょっとしてアーティストとオーディエンスの関係が変わって来たからなのかなと思った。
もちろんステージに対する当時の流行りもあったんだと思うのだけど、何か以前は音楽以上の物を表現しようとしていたような気がしてならない。
例えば、LPのジャケットにファッショ的な模様が描かれていたり、宗教まがいの物が描かれていたり。
そしてライブもそうだったんじゃないだろうかと。
アーティストを神格化したり、ライブ自体に音楽以上のメッセージを持たせていたからこそ、いわゆる「かっこよさ」「アーティストらしさ」が求められて、出はけが舞台奥だったりしたんじゃないのかなと。
言葉を変えれば「カリスマ」を作り出す作業をライブでしてたのかなと。
象徴的なライブを見たことがある。
1984.8.11芦ノ湖畔ピクニックガーデンで3万人を動員して行なわれたTULIPの野外ライブである。
この日の為に「PAGODA」と名付けられた何十メートルという塔が象徴として建てられていた。
これだけでも異様な雰囲気である。
そして、ライブの一番最後に階段状のステージの一番上に巨大な人の顔のモチーフが登場する。
そして、バンドメンバーはそこに向かってゆっくりと上っていく。
そして終演。
その過程はまさに「カリスマ」が作られるそれだった。
そういえば、今きままに音楽をしようとしているアーティストは80年代に「カリスマ」と呼ばれていたり、「カリスマ的存在」だった人たちが多い。
そして今、「らしさ」を拒否し気ままに音楽を楽しむ方向に動きつつあるんだろうか、そんなことを考えた。
同時に、「カリスマ」なんて言う虚構を信じなくても良くなったのか、そんな余裕すらなくなってしまったのか・・・
06月25日(火)
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