ID:30149
日々是修行也
by 弥勒(みろく)
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■** 貴重な体験談
釈放されたのは、16時頃だったと思います。留置所から出て、身元引受人である姉と義兄が迎えに来てくれていました。

警察を出たのは、17時ぐらいだったと思います。逮捕されてから、27時間近く経っていました。


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初めての無断外泊と27時間近くも連絡がとれないままでしたので、私を心配した夫は、警察に捜索願を出していましたし、私の携帯電話の開示を求めに、電話会社にも行っていました。

ただ、私の携帯電話の契約者は、私、本人だったため、開示は拒否されていました。

帰宅後、夫に、無断外泊と連絡がとれなかった理由を作り話で、説明しなければならなかったわけですが、携帯電話の開示がなされていなかったことは、救いでした。

夫が、私の作り話をどこまで信用したのかはわかりませんが、私のただならぬ雰囲気を察したのか? 私の作り話を追求することもありませんでしたし、それからも、逮捕されるまでと、なんら変わらぬ家庭生活を送っています。

捜索願のほうは、釈放された翌日の朝、夫が取り下げに出向いたのですが、警察からは、特に、私の逮捕のことは知らされてなく、安心しました。

逮捕された警察署と同じ警察署では、ありませんでしたが、同地域でありましたし、少し不安でした。


釈放後の警察での取調べは、数日内に一回と数週間後に一回の計二回でした。取調べは、それぞれ、3〜4時間だったと思います。

もう、ほとんど内容は覚えてないのですが、二回目の呼び出しの時は、私の供述内容の訂正のためだったと記憶しています。

私は、ハプニングバーへ行った回数を、適当に、しかも、少なめに言っていたのですが、実際に行った回数との開きがありすぎたので、その訂正のためでした。

でも、単にそれだけではなく、今までの供述調書を検察に提出するためのまとめだったようにも思います。

後は、検察からの連絡を待つように言われ、ようやく警察での取り調べは終了しました。


検察からの連絡がきたのは、逮捕されてから10ヶ月後ぐらいのこと。担当検察官からの直接の電話でした。

検察官の指定する日と私の都合を調整し、日時を決めて頂きました。検察での取り調べに不安はありましたが、逮捕された時とは違って、ある程度、頭の整理もできていましたし、何よりも、逮捕されてから、あまりにも時間が経ちすぎていましたので、忘れていることも多く、検察官の質問に対して、「覚えていません」で、済むことも少なくありません。警察での取調べに比べると、そういう意味では楽です。

検察では、警察での供述調書を元に、検察官が、その内容を私に確認しながら、新たに供述調書を作成するという感じでした。

ただ、警察では、私の供述したことを書いていくという感じでしたが、検察では、検察官の頭の中には、もう、ある程度の調書の筋書きが出来上がっていて、できるだけ、その筋書きに私の供述内容をはめ込んでいくようなそのような印象を受けました。

ちょっとした検察官の言葉の選び方に、私は、検察官の意向らしきものを感じることもあり、言葉使いに、しっくりいかない場合は、そのように伝えて訂正してもらったりもしました。

検察での取り調べは、一日で終わる予定でしたが、検察官の予想より時間がかかったようで、急遽、翌日に、また、2〜3時間の取り調べに行くことになり、検察での取り調べは、二日間にわたりました。

そして、今回の事件の審議を終えたら、また、検察からの連絡が入るということでした。10日後ぐらいに、検察からの連絡が入り、また日時を調整して検察に行きました。

その時は、略式裁判になるがそれでいいのかどうかの確認と、略式裁判の諸々の説明等、数十分で終わったと思います。

裁判所からの連絡は、二週間後ぐらいと告げられましたが、略式命令書が届いたのは、一ヶ月後ぐらいでした。

逮捕されてから、ちょうど一年ぐらいが経った頃でした。罰金を納付して、一年がかりで、ようやく全てが終わりました。




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09月02日(火)
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