ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
[827179hit]

■やけどしたんやけど
 全ツ話、最終回の巻(にんにん)。



[星組メモ:涼さんの、というかオスカルの話]

 今回の涼さんのオスカルが秀逸だったのは、原作通りのオスカルだったのと、それを涼さんがちゃんと「今回はタカラヅカのベルばらじゃない」って理解して演じていたからじゃないかなぁと思っています。いやほんとよかった素敵だった。
 原作通り、というとちょっと違う点もあるかもしれませんが、原作の台詞・エピソードをうまく凝縮して、ちゃんとオスカルという人物像が立っていた。今宵一夜がなくてもペガサスにまたがらなくても(笑)、ちゃんとオスカルだったなぁと思うんです。ベルナールに出会った事で、フランスの現状を知って、人々の為に何かしたいと思って、それで衛兵隊に転属して、革命に散るという流れが一貫していたし。今回の舞台で、衛兵隊転属以降のオスカルの出番はないわけですが、バスティーユでロザリーがオスカルの剣を差し出しただけで、舞台で描かれていない空白が埋まる。変に説明台詞で解説しなくても。「外伝」だし今回はオスカルがメインではないからそういう描き方が正解なんじゃないかなと思うし、そもそも漫画を舞台化するにあたって、漫画の通りにはできないわけですから、まさに舞台だからこそできる処理の仕方だなぁと思ったのです。
 もう一つうまい処理だなぁと思ったのが、オスカルのアンドレへの愛情の示し方なんですが、今回はオスカルとアンドレの恋愛物語にはあまり重きを置かれてないですよね?でも男女の愛情以前の二人の間の感情がすごくよく描かれていたなぁと。オスカルはアンドレが片目を奪われて、そして初めてアンドレの存在の重さを知って、それで「おまえがいなくては何もできない」と感謝をする。そう、この「感謝」という姿がものすごく印象的だったんですよね。こういうオスカルは原作だと時系列的にはもう少し後半かなぁと思うのですが、感謝のオスカルとフランスの現状を見て思い悩むオスカルがうまくシンクロしていたなぁと。小石につまづかなくたって(笑)、こんな風にオスカルの愛情の示し方があるのだなぁと。この時点ではオスカルはまだそれ(感謝)をアンドレへの「愛」として自覚はしてないわけですが、それでもこの後の舞台で描かれなかった、でも私たちが原作を読んで知っているオスカル像に自然と繋がっていくんですよね。
 2005年の全ツの時に吉野さんが「ベルばらが観客の脳内アーカイブに頼らないと上演できない作品になっている!」と言っていたのにものすごく納得していたのですが、今回のこうやって舞台に描かれない部分を埋めていく作業は、これまでの脳内アーカイブに頼る(矛盾点を補完していく)とは全く異なる作業だったなと思うのです。
 確かにタカラヅカのベルばらは「ベルばらの舞台化」ということで舞台でしかできない、タカラヅカでしかできないスタイルは確立しているんですけれど、脚本の処理としては全く「舞台化」の意味をなしていない。原作をそのまま上演はできない訳で、だからこその脚本であり演出であるんですが、どうもそのエピソードの切り取り方とか、クローズアップするところとか、省略の仕方とか「漫画の舞台化」としてはほんと間違った道を歩み続けて、「タカラヅカのベルばら」のスピンオフを繰り返し続けてもうどうしようもない形にゆがんでしまったんだなぁと思わざるを得ないのです。
 もちろん、今回の舞台にだっていろいろ矛盾点はあるんですが、ただそのスタンスがちゃんと「漫画の舞台化」になっていた。それだけはもうものすごく私は評価したいな、と。

 なんかオスカルの話じゃなくて作品論になっていますが(笑)。今回の「いいベルばら」が今後のタカラヅカのベルばらが変わるためのトリガーになるのか、あるいは単なる放送事故(笑)になるのか気になるところです。


 ところでオスカルの言う「これで幸せになれる」「私の分も幸せに」が妙にひっかかっています。「幸せになれる」は原作ではオスカルの台詞じゃなくて、コマのト書き(?)的な書かれ方だったので、てっきりあれはベルナールかロザリーの台詞だとずっと思っていたのですが…実家に帰った時にちょっと再読して再考してみます。


[星組メモ:しぃちゃんの、というかアンドレの話]


[5]続きを読む

12月03日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る