ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
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■「百年の恋も醒めましたか。ならば今から百一年目の恋を始めましょう」
 さっきお風呂に入っていて唐突に思ったのですが、おーまくんでドテラマンはどうだろうか?(普段は大人しくて優等生なボクが変身後はやんちゃで元気な男の子に!)もちろんドテラピンクはももかさんです(こちらは普段は男の子を尻に敷いて元気一杯な女の子なんですが変身後はおしとやかなやまとなでしこ、にはならないできっと変身後も「ちょっと!ちゃんと戦いなさいよー!(バシバシ)」でおーまくんが「設定と違う!こんなんじゃなかったのに!」って泣きながら戦うといい)……でもマジで似合うと思うの、コスプレとして(笑)。




 通常営業に戻って雪組全ツの話の続きをします。


[雪組メモ:星影の人考]

 初見の感想で「これ新選組じゃないなぁ」と言ったのですが、でもそういう新選組という定義が新選組スキーな自分の中で形成された独自で固有のものだなぁ、ちょっと言いすぎたかなぁと思って2回目の観劇したのですが……やっぱり「新選組」っぽくない。「新選組」の描かれ方って色々あるかと思うのですが、その中でもいくつか不文律、というか最低限守られる共通認識があると思うんですよね(たとえば井上さんのキャラ立てとか)。それを外しているから「新選組」っぽくないのか。
 何よりも沖田がほんと沖田っぽくないんですよね(むっさん判定)。というか「剣客としての沖田」という設定が全く生かされていない=新選組である必要がない。普通に病に冒された青年の物語としても書きなおせる気がする……。
 ですが、これも初見時に言った通り、批判するわけじゃなくて、「新選組」ぽくないというのは逆を言うとものすごくよく宝塚にカスタマイズされている、タカラヅカナイズされいる、と思えるんです。そんな中で書かれた沖田がものすごくピュアでびっくりした。色んな媒体で「新選組」を見てきたけれど、こんなにピュアというか無色な沖田は初めてかもしれない。ある意味、タカラヅカナイズされたことでの浮世離れ感、リアリティの欠如っていうのはあるんですが、それが更にこの作品の沖田に透明感を与えたなぁと思うのです。それを水先輩がなんなく演じていた事にもびっくり。最初、水先輩が沖田をやる、と聞いて正直違和感がありました。でも中日映像見た時点では「おおいけるかも」と思って、で実際に見てみたら、ほんと違和感なかった。そのタカラヅカナイズされた沖田を、タカラヅカという舞台で精製されて透き通ってしまったような沖田を水先輩がなんなく演じていた……うわー。なんというかすごいもの見た気がします。で、この「タカラヅカナイズされた沖田」はやっぱりトップさんにならないと演じられないんじゃないかなぁと。トップとして地に足がついたからこそ、全てをなげうってこの「精製されて透き通った沖田」を演じる事ができる。身に着けること、手に入れることを乗り越えてたどり着いた立場だから、全てを手放すことができる。そういうものが相まって「星影の人」が生まれたなぁと思ったのです。そう、水先輩が演じたのは沖田じゃなくて「星影の人」。柴田先生が描きたかったのも沖田じゃなくて「星影の人」だったんじゃないかなぁと思う次第です。
 なんだかんだで、やっぱり名作だと思いました。で、改めて思ったのはやっぱり柴田先生が描きたいのは「男女のロマン」であって歴史ではないんだなぁと。割と柴田作品の歴史背景はおいてきぼりになることが多いと思うし……。余談ながら柴田先生の後援会は西が「ロマンの会」東が「マロンの会」と言うそうです(実話)。
 と言うわけでこれは「新選組」じゃないから、池田屋がああでも(笑)なんだか全然問題ない気がしてきました、いっそアレ、なくても良かったんじゃ(素)。


 ちょっとまとまりなくてすみません。
 で、これも初見の感想とかぶるのですがやっぱり「生きる」という物語だなぁと思いました。「生きてみたいと思ったの」と言う加世にも、泣きじゃくる明里に「生きるんだ」という山南さんにも、ぐっと来る。つうかむっさんほんとそういうのに弱いなぁ。

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10月10日(水)
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