ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
[826320hit]
■そして共に踊ることで二人の記憶がよみがえるのです
ゴーヤをスーパーでみかけなくなりました(この夏の後半はお世話になりました)。季節の変わり目ですね。
KEAN観てきました。にかいめ。
[星組メモ:KEANつれづれ]
初見の時、ちょっと消化不良で「ん?」と思っていたんですがまあ初見だからということで2回目にのぞんだのですが、やっぱり「ん?」となりました。あ、あれ?
初見の時にも言ったように、評価が分かれる中、私的には「アリ」判定だったんですね。普通のお芝居として面白かった。でもなんだか消化不良に陥ってしまったのは、この芝居を「アリ」判定したのが自分の中の普通の芝居好きな部分が判定したにも関わらず、観劇姿勢がタカラヅカを見るときと全く同じだったからからだなぁと、今日気付きました。ぶっちゃけ「妄想する余地」と「萌え」が探せない(それがお前のタカラヅカ観劇姿勢か)(ええまあ)。もうちょっとガッツリ「普通のお芝居として」観て消化しようと思っていたのですが、それができなかったんですよね。更に言うと、初見でも2回目でも睡魔に勝てなかったんですよね(……)。割とどんな駄作でも寝ない方なんですが(単に疲れていただけじゃないか?)。だから頭では「面白い」と思ったのに身体は受け付けなかったって事かなぁ……。
総じて、いつもの文脈で感想がかけないのですよ。うううう……。
消化しきれないままですが、自分用メモとして思ったことを書いておきます。
初見の時に思って、とりあえず保留しておいたことなのですが、どうやらこのまま考え的にはかわらなそうなので。
[星組メモ:イズディスタカラヅカ?]
専科に行って各組主演するようになってからの御大にずっと「男役としての記号化が進んだ」と思っていたんですね。轟悠、というよりは男役として特別な存在、超越した存在、という感じで。ところが今回初見の時にはた、と思ったのですが「あれ?御大ってタカラヅカじゃないんじゃね?」ということです。わたくしの持論としてのタカラジェンヌの定義に「いつかはやめるもの」が一番にあがっているのですが、それと照らし合わせるとやめない御大はタカラジェンヌではないんじゃないかと。もちろん「やめないタカラジェンヌ」という例外(理事)は存在している訳ですが。で、私も最初は御大をそのカテゴリに入れていたんですが、でもこうやって主演をする御大はその例外カテゴリでくくるより、実は「やめないタカラジェンヌ=タカラジェンヌではない」という文脈に添わせたほうが正解なのではないかと。
更に今回のKEANを観て「あ、タカラヅカじゃないこれ」と思いました。何度も言っている「普通の芝居として面白い」はつまり「タカラヅカじゃない」という事なんです私的には。
そうするとあの日生劇場でやっているものは「タカラジェンヌでないひとがやっているタカラヅカでない公演」という事になります。
それを私は全く否定するつもりはありません。むしろそれならそれで新しいと思うので。ただいつも思うのは、それに劇団は気付いているのかな、という事なんですよね。タカラヅカという定義、タカラヅカという存在意義。それが挑戦なら大いに歓迎したいのです。でもそれが無意識ならばちょっと危険かなぁと思うのです。御大が専科に行ったとき、「男役芸を継承する」「第二の春日野八千代として」「男役の象徴として」みたいな事が謳われていたと思うのですが、実際に御大がやっている(劇団がやらせている)ことはそんな「守り」ではなくて、宝塚という概念を崩すかもしれない「攻め」だと思うんですよね。
ちなみに似たような事をだんしんくれーじーの時にも思いました。あの時のOGを使ったユニセックスな女黒燕尾、タカラヅカの性別をやんわりと崩すような、新しいカテゴリを作り上げたようなアレ(詳しくは当事の日記を見てください)(不親切)。あの時も「あれ?これは意図的?無意識?」と軽く困惑したので。
なんというか大喜利風に
タカラヅカのようでタカラヅカじゃない
タカラジェンヌのようでタカラジェンヌじゃない
それが何かとたずねたら(べんべん)
という気分になっています(非常にわかり難い)。
[5]続きを読む
09月16日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る