ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
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■タイトルがスパッと決まらないときは中身もだらっとしている気がする
[スカステメモ]

 博多初日映像を見ました。涼さんのセルジオがうっかりかわいくてどうしようかと思いました(素)。

 あとわたしキャリオカに絶対泣く(宣言するな)。でも泣いても見たい。きっとこれはちっちゃい子が睡魔と闘いながらご飯を食べているようなもんなんだと思います(笑)(タカラヅカにおける三大欲求のうちのふたつ)(じゃああとひとつは?)(さあ?)



 昨日の続き、というかだんしんくれーじーの話をします。


[ダンシンメモ:タカラヅカOGといういきもの]

 今回の公演はもちろん「大真みらん」を目当てで行ったのですが、「なんかすごいものを観てしまった」感でいっぱいになって帰ってきました。この「なんかすごい」はたくさんのタカラヅカOGが綺羅星のごとく共演していたことではなく、タカラヅカOG公演としてすごかった。タカラヅカOGが出ている(一般の)舞台でもなく、タカラヅカOGがタカラヅカを全面に出す舞台(狸御殿みたいな)でもなくて。なんというかOG公演としては新機軸だったんじゃないかなぁと。
 それを一番感じたのが、作品中における性別の扱いなんですね。タカラヅカメイクをしていないのはもちろん、男役としての体型補正もしていない、でも男として舞台に立っている。そんな場面が多かったのです。さすがに宝塚のショー場面再演のところでは、ちゃんと補正していたと思うんだけれど、それ以外は、ほとんどしていないような。細身のスーツを着ていたり、ウエスト絞った衣装だったり。それはもう男役じゃない、けれども舞台で与えられている役割は「男」。なんというか不思議な空間でした。ユニセックスな空間、マニッシュな空間。ただひとつ言えるのは、この空間はここにしか存在しえないということ。宝塚が宝塚でしかありえない空間であるように、このだんしんくれーじーも世界のここにしかありえない空間、舞台。そこにいるのは女優でも、ダンサーでも、インストラクターでも振り付け師でもなく「タカラヅカOGという生き物」。そりゃそうだ、人生の一番多感な時期をあの空間で過ごして育って、あの空間で頂点を極めたものが、おいそれと消えるわけじゃない。宝塚は有限の園だけど、そこにいた人たちの中に確実に宝塚が永遠に息づいているんだなぁ。男役娘役の違い、在団年数の長短はあるから、「タカラヅカOGといういきもの度」の濃淡はありますが、少なくもとも今回中央に立っていた人たちは皆「タカラヅカOGという不思議ないきもの」なんだと思います。なんというか新しかった、そしてはそれは宝塚特有のジェンダー論へのセミ・アンチテーゼのようにも思えました。ううう……うまく表現できない。でもものすごく面白い。これ、またやらないかなぁ。というかほかの人にも観てもらって、私が感じたものを表現して欲しいのですよ(吉野ふーみんとかやましたせんぱいあたりに是非解説してもらいたいなぁ)。

 初見の時にも触れた、二幕最後の「変わり黒燕尾というかマニッシュな黒燕尾」(誰か図解してください)。これが今回の公演の私が感じた何かを一番あらわしているんじゃないかと思います。ところで初見の時には気付かなかったのですが、中に着ているブラウスの下の黒ブラが透けて見えてたんですね、全員。それに気付いたときにはかるく恐慌状態に陥りました。ああ!実際三木ティはどこまで何を考えてやっていたんだろうなぁ確信犯じゃないかと実は思っています。


[ダンシンメモ:朝海ひかるさんと湖月わたるさんの話]

 何故このふたりを並べるかというと、その「タカラヅカOGといういきもの」になったばかりの主演男役ふたり、という事です。どちらもおもしろいように変わっていたなぁと感じました。

*朝海ひかるさん

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08月05日(日)
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