ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
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■用法・用量を良く守って
 さようならベルばら、さようなら星組、さようならおーじーさーまー!!
(待て、最後にソレが来るのか?)(つうかベルばらはまだ雪組あるし)

 本日昼がマイ楽でした。観劇中は相変わらずもやもやひゃーひゃーうわーうわーやっていたんですが、フィナーレでこれでおじさまとお別れかと思うと真剣に悲しくなってしまいました。もう正に最後の円舞曲です(まりえ姫コス)。……あー、すごいことだったんだなー、探さなくても曲解しなくても(笑)、黙って観ていれば「ヘイお待ち!」とばかりにおじさまが出てくるってことは……(遠い目)。ファンの贔屓目なのは重々承知で言わせてもらおう、綺麗だった、素敵だった、大真くんの燕尾姿。

 (恥ずかしくなってきた)

 そういえば公演中に四年生と二年生に会った時に「やっぱり(オマージュにおける)おじさまのキモは『苦悩感だよね!』」という事で満場一致しました(苦悩感、ってなんだよソレ)。


 大真当番日誌は下に沈めます、痛いから(えー?これ以上痛いのー?)


[ナパームスクエア的ベルばら総括]

 というわけで、足掛け半年。星組のベルばらが終わりました。ムラにこそ行かなかったものの、全ツを北海道まで追いかけ、東京公演を○回観た(もう伏せるなよ)(一桁ですよ)私が何を言っても「このベルばらオタクが!」「つうか星組大好きっコが!」で終わってしまうと思うのですが、楽しかったです、楽しみました。

 唐突に。ベルばらは「再演」じゃなくて大掛かりな「役替わり公演」なんじゃないかと思いました。特出とかそういう役替わりだけじゃなくて、ベルばらを再演することが「役替わり公演」。一番最初の初演以降は皆役替わり公演、もっというならば初演ですら(原作を本役とした)「役替わり公演」。
 涼さんがお茶会で「ベルばらは各自の個性を出すんじゃなくて、いかに原作のイメージに、宝塚の型としての役作りに近づくかがキモ」みたいな話をしていたんですが、実はそれは全然逆で、イメージや型があるからこそ、それぞれの役者(役替わり要員)が自由奔放に「ベルばら」を解釈していっているんじゃないかなぁと。
 時々スカステで再放送している過去のベルばらを観ると、ほんと驚くぐらいに全く変っていないんですよね。誰が言うかは違っても台詞は一言一句違っていないし。ベルばらが再演される度に「新しいベルばらを」って言っているけれど結局変っているのは「出ている人」だけ。それを非難するわけじゃなくて、そういうものなんじゃないかなぁと。役者が代わることで代わる解釈を楽しむ舞台、だから「役替わり公演」(私的にはすとんと落ちた)。

 今日はもう最後だからうっとおしい考察とか解釈とかやめて素直に楽しんでくるぞー!と思って出かけたのですが、またなんかいろいろうっとおしい考察とか解釈とかして帰ってきました(積みあがる課題)(いや誰も課していない。)ナパームスクエア的ベルばら総括としては、後はトウコさんのオスカルの話と椎ベルナールのSSを書けば終わりとふんでいたんですが!が!が!(計画なんてあったのか)(つうかSSかよ)。
 だったら別に黙っていればいいじゃん、心の中でツッコみつつも、うちのお客さんなら生暖かく見守ってくれると思うので(甘えるな!)、とりあえず体力続く限り書き綴っていきたいと思います。



 以上を直訳すると「うざいですよ」って事です(はいはいもう前置きはいいから)。



[涼ジェローデルの話]

 公演中盤で唐突に気付いたのですが、今回のジェローデルってオスカルの事を好きっていう設定はなくても問題ないですよね?もちろん涼さんがそういう設定でやっているのは知っています。ただ、涼さんのジェローデルを観ていると、「ジェローデルはオスカルが好き」という設定は無い方がむしろすっきりする気がしました。もっというと「かつて好きだった」という設定の方が萌えると思うんですよね?(萌え、て)

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04月02日(日)
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