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マシンガン★リーク
by 六実
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■晴れたり曇ったり、時には雨に打たれたり
涼茶の話が途中なのですが、今日観てきた公演話をさせてください。
で、涼さんと言えば今日の淑女が金髪のショートボブでこれがめっさかわいかったー!(思わずうはぁと声が漏れました)。茶会で言っていた「鬘毎にワタさんが命名して耳元で囁いている」のなら涼さん自ら鬘毎にキャラ立てしていけばいいのになーと思っております(かのマレーネ先輩の故事にちなんで)(故事言うな)。とりあえず私的判定ですと、金髪ショートボブの淑女は「こあくまちゃん」って感じです(ええ?)。ちなみに日曜日に見た時には金髪ロングだったんですが、そちらはえらく清楚に見えました。ワタさんとの絡みはパワーアップして、目線がねっとりと絡み合っていたんですが、そんな風にまぐあいつつも「まだあげない(はあと)」みたいな?(いやカラダはまだ許してないと思ったんだよ)(六実さんは宝塚で何を見てきているんだろうね)。
という訳で、神様おねがい涼淑女のカツラをコンプさせてくださーい。
話がそれたところで、本題に入ります。
その前に、一言。「もー!しぃちゃんてばー!」
(いいから本題に入れ)
[天文部業務日誌]
というわけで、立樹アンドレ2ラウンド目(二度目のアンドレ)にして立樹アンドレマイ楽。
日曜日に見たときにもかなり愕然としたんですが、1ラウンド目と全然ちがうやないですかー!立樹アンドレなのに影が出ていた。文法的に(違)アンドレに影が掛かるのは正しいのだけれど立樹に影はかからないので(真顔)非常に居心地の悪いアンドレでした。いやアンドレとしてはこっちが正しいんだろうけれど、でも「小石につまづいてどうする!」が俄然おかしな場面になってましたな……。でも白ばらの人銀橋ソロは良かったわけだから、やっぱりアンドレとしては正しいのか?じゃあそもそも脚本がダメなのか?いや脚本がダメなのは今に始まったことじゃないし……と悶々としてしまいました(むっさんウザい)。
あの私の中で「新しいアンドレ」と大絶賛に祭り上げた椎ドレはどこにもいなかった(お前はもういないのか)。いや、1ラウンド目のアンドレの役作りが好きだっただけにね。太陽に雲がかかった分、なんか太陽の魅力もそがれちゃった気がしてね、太陽が縮小した気がしてね……わかっているよ、こっちがほんとは正しいって。
が、
最後のバスティーユの場面の死に際で、2ラウンド目のアンドレ(以下アンドレBと称します)が俄然アリになりました。「命だけは大切に」が、最後までオスカルの事しか考えていない1ラウンド目アンドレ(以下アンドレAとします)に対して、アンドレBは「自分の死」がオスカルと自分自身と事として捉えていたような。ちなみにアンドレAは「自分の死」すら死として自覚していないようなほどにオスカルの事ばかり考えているアンドレでした。
アンドレAの時は、その天文学的な大きさでそれこそ自分の「男」すら越えて(ええ?)オスカルを包み込んでいたアンドレが、今宵一夜で初めて「男」として、それまで同調同化していたオスカルとの一個の個体として対面し、それ故にバスティーユでオスカルが一個の人間として散っていった、という解釈だったんですが
アンドレBの場合は、天文学的な大きさで包む事なく影として寄り添っていた。けれども今宵一夜でひとつになった時、影と光が同化した、影でもなく光でもなく、オスカルとアンドレは本当に本当に一つになったんだなぁと。
だからアンドレBの「命だけは大切に」というのが、自分の事をさておきオスカルだけに思いを向けていたアンドレAとは違い、「自分の死」を「自分たちの死」としていたように見えたんです。なぜならば、アンドレはオスカルでオスカルはアンドレだから、ふたりはひとつだから。
今日はオスカルの「お前はもういないのか」がものすごくぐわんとキタんですね。今、トウコオスカルがどんどんテンション上げていっているせいもあるかと思うのですが、その「いない」という喪失感がオスカル自身の中にあるというか。
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03月21日(火)
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