ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
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■ハニーブラウン(旨)
 行ってきました青年館。無事見れました、心配していただいてありがとうございました(私信)。
 中日組が「ご観劇」。TERUの周りがなんかもやでけぶっていました(笑)なんだあのオーラ。
 つうかせっかく黄色い棒デビューしようと思って意気揚揚と行ったのに、黄色い棒無かったよ!何も無かったよ!(まあ振るような場面ないからね)。
 お話がお話なので、楽らしいお遊びも余り無かったのですが、スカステで入る千秋楽映像の一番の目玉は「渾身のネタで壮君を紹介する森央かずみおねえさま」と「挨拶する壮君をなんともいえない表情で見守る森央かずみおねえさま」です(えー!そこなの)(うん)。
 スタンディングオベーションでした。ご祝儀でもなんでもなくものすごく素直な気持ちで自発的にしてきました。最初に立った人をみて「チョーずるーい、アタシもやりたいのに!」と思う勢いで。

 以下、いつものウザトーク。









 ……なんなんでしょうね。実はなんでこんなに「良かった」と思っているのかわからないままです。
 ここを見てもらえればわかるように、私は自分の感じたこととか覚えたこととかを、自分の言葉にして初めてちゃんと感じて、覚えるという、割とめんどくさいタチなんですが、今回はほんとうに上手く言葉にならないんです。でもそれが決して不快ではないんです。このままわからないまま、じっと自分の中にしまっておきたいような、そんな気持ちです(わかんないよ)。
 だからと行ってチョー名作!とか思っている訳ではないです。たとえば私のいつもの(ウザい)見方で見ると、脚本的に「あれ?」とか「そう繋がるの?」とか色々細かくはつっこめるんです。でもそういうのをそのまま受け止められたんです。たとえば起承転結的に繋がっていなくても、主人公がドラマを起こす訳でなくても、うまくつながらなかったり、わからないところがあったりしても、でもそういう綻びがあるのが人生なんだからって思えたんです。
 あのですね、「物語」はひとのいきざま(あるいはひとびとのいきざま)であると思うんですよ。で、そのひとのいきざまを表現するだけなら、そのままひとの生まれてから死ぬまでを追いかけて、何もかも同じに(時間も含めて)再現すればいいんです。けれどもそれでは物語とは言わない。そのひとのいきざまを時間的に2時間という舞台に省略したり、何文字という本の中に省略したり、平面という絵の中に省略したり、物語っていうのはそういう「省略することで成り立つ表現」だと思っています。それにさらに舞台や小説や絵といった独自の表現方法で換骨脱胎されたり、誇張されたり、再構築されたりしているものなんだと。それが「表現」なんだろうなぁと。
 伝わりにくいんですが、そういった意味で今回の舞台は「物語」として成立は弱いと思うんです。けれども「ひとのいきざま」としては成立していると思うんです。これは主人公だけではなく、舞台に生きている人全員が、そう本当に全員のいきざまが成立しているんです(これは出演者ひとりひとりの力量が大きいのも手伝っていると思う)。だからとりたてて言葉にできなくても、ならなくても、すごく感じるものがある。
 結局この芝居は何が言いたかったのかなという主題も、実は私にはうまくいえません。けれどもひとのいきざまっていうのは、そうやって言葉で表現しきれるものではないし。いろいろすれ違ったり、うまくいかなかったり、わからなかったり……そういう「ひとのいきざま」「人生」を見てきたような気がするのです。
 「ひとのいきざま」を「物語」にするのが(私なりの解釈で)舞台、それを限りなく「ひとのいきざま」の方に近い形で太田先生は舞台にのせたんじゃないのかなぁと。逆を言うと「物語」としては弱いから、この芝居を受け付けない人がいるのもわかります。でも私は好きです。タカラヅカの舞台としてどうかという疑問が浮かぶのもわかります、でも、私的にはすごくいい舞台でした。簡単に言うと「うわー!いいもん見た!」です。


[ドミトリー考]

 ……まとまってません、まとまりません、まとめるきもありません(先手)。

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02月20日(金)
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