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マシンガン★リーク
by 六実
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■ザビエルだったり原宿だったり
・そのフランシスコが最後の最後でその自分の「罪」に気付く。罪はふたつ。結果としてリンダを大公のもとにやってしまったこと、そしてリンダの愛に気付かなかったこと(そしてそれには一生答えられないという事)。それまで好き勝手やっていた彼が最後の最後にその罪に気付くのだと思うのです。
・逃亡後にバルセロナに戻ってきた時点で、彼は死を覚悟していた訳で(「命など惜しくない」)。けれどもその命を永らえた、でもロザリアと一緒になることは出来ないわけだから、その時点で(釈放された時点で)再び自ら死を選んでもおかしくないと思ったのです。けれども彼は聖職者として生きることを選んだ。
それはもちろんロザリアの「生きて欲しい」という願い故でもあるけれど、一番は「リンダへの償い」なんじゃないかなと。ロザリアの「生きて欲しい」という願いには一度応えている(聞き入れ脱獄した)けれど、やっぱりロザリアがいなければ「生」はない、というのは既に出た結論で。だから、彼が生きることを選んだのはリンダの為。彼女の愛に応えられない代わりに、彼女への償いに。だからロザリアに別れを告げに行った。
・ところでロザリアもフランシスコと同じように、周りを全く顧みず、情熱のまま突き進んだのだと思いますが、彼女がその「罪」に気付くのはフランシスコよりも早くて、セルバンテス伯爵が「田舎に帰る(違、わない)」と告げた時だと思うのです。あの賑やかな花祭りの中、セルバンテス伯爵に去られて初めて自分が顧みなかった周囲が見えてくる。もっと言うと、フランシスコと自分以外が見えてくる。あの呆然とふらふらさまようロザリアがそういう回顧をしているようにしか見えなかったのです。そしてすがるようにマリア像に祈っていると、フランシスコと再会。あそこのロザリアの動揺(むしろ狼狽)っぷりは、単に「マリア様との誓いを破ってしまった」だけではなく、「私はセルバンテス伯爵を傷つけてしまった」という懺悔もまざっていると思うのです。けれどもこの時点ではまだフランシスコには「自分とロザリア」しか見えていないわけで。
・そうしてラストで、再びまみえるフランシスコとロザリア。二人とももう「罪」を知っている。「愛することが罪なのか」は、フランシスコのそれであり、ロザリアのそれであり、そしてフランシスコがようやく知った、リンダのそれでもあると思うのです。
・フランシスコは「生きる」事を選んだ(選ばざるをえなかった)訳ですが、けれどもロザリアを手に出来ないフランシスコは既に「死」であると思います。彼はこれから一生、「死」を生きていく。皮肉にもそうやって彼を「死」に繋いだのはリンダ。リンダが最初にフランシスコが投獄された時に言う「彼を牢屋に繋いだのはわたしだわ」が、この最後にも繋がっているんじゃないかなと。
・そう思うとフランシスコの「生」はロザリアに出会って、別れるまでの短い間だけなのかもしれません。「生き続けて来たのはあなたにめぐりあうため」。
そして巡りあって、別れた後、彼が「生き続ける」のは、リンダへの償い。それこそが彼に与えられた最大の罰なのだと。
その短い「生」の間、フランシスコとロザリアがもっとも「生」に輝いていた瞬間が、本来は「死」と隣り合わせであるあの牢獄だったのだと思うと、もうほんと切なくてたまりませんでした。
・冒頭の神学校の卒業式(だよね?)で、その聖域から「今こそはばたけ」と祝福され飛び立ったフランシスコは、最後に再び、聖域という檻に閉じ込められるのだな、と思いました。
フランシスコが一番自由に「生」を謳歌したのは牢獄、そしてロザリアがいた庭にあったのは鳥籠。「死」と「生」、「自由」と「束縛」、そんな風にダブルミーニングにもトリプルミーニングにも思えてきて、一人でぐあんぐあんきていたのですよ……ね?頭痛くなるでしょ?(つうかむっさんの(略))。まあこれもそれも全部「仕(略)
・フランシスコとロザリアは、一緒にいられないけれど「不幸をわかちあうことで僕たちはひとつだ」と思いをひとつにした。リンダとルイス伯爵は一緒にいるけれど、何かわかちあうことができたのだろうか……そんな対比も見えてきて、またひどく切なくなったりするのです。
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11月16日(月)
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