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マシンガン★リーク
by 六実
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■柱のきずはおととしの、背中のきずはおとといの
ただ同じ「すっぱーん」って感じでも麻尋ヴィロンスキーの場合は、それまでどこへ向かっていいのかわからずに鬱屈としていた全てのものが「もう一人の俺」にすごいイキオイで向かっていった感じで、せあらアンナの場合は本当に突然に目覚めた「もう一人の私」という感じで。いずれもその「もうひとり」が目覚めるパワーが尋常じゃないという感じでした。いっそ目覚めるというより「生まれた」と言ったほうが正しいのかもしれません。そうやって生まれた「もうひとりの俺/私」はなんだか幼い子供に思えました。生まれたての赤ん坊だったんじゃないかなと。正にアンナの日記にあった「生まれたての赤ん坊が食べ物を求めるように愛をむさぼった」。だからあんなにも真っ直ぐに無垢にただ求め合って。主題歌で歌う「愛の旅人」という歌詞より、「迷い子のように」という歌詞のほうがぐっと来てしまった。二人が求め合う様が、どこか頼りなくて、けれども無邪気で、切なくて。
けれどもそうして生まれた「もうひとりの俺/私」は物語の中で生き延びることはできなかった。生き延びることを許されなかった。彼らを許さなかったのが貴族社会の檻、という事なのかもしれません。ところで「もうひとりの俺/私」は二度死んでいると思います。アンナは己の死を目前にして、カレーニンに許しを請う事で「もうひとりの私」を死なせ、ヴィロンスキーは愛に奢った者の報いとして自らの自殺未遂で「もうひとりの俺」を死なせている。これがそれぞれの一度目の死。けれども互いにもう一度求め合うことで、「もうひとりの俺/私」が生まれて「しまった」。不可抗力な誕生。そしてアンナはアンナ自身の死と共に「もうひとりの私」を死なせ、ヴィロンスキーはアンナの死と共に「もうひとりの俺」が死んだ。彼らが互いにひとつだから、互いを失っては生きてはいけないから。これが二度目の死。
誕生と死と。なんだかまたしてもむっさんの好きそうな展開に無理矢理持っていっているといわれそうですが(笑)、けれども私にはあの狂おしさやせつなさやいたいたしさ激しさは、「背徳の愛」ではなく、そうした命の叫びにしか見えなかったのです。
ラストシーンのヴィロンスキーがキティに言う「消える命もあれば」は死んでしまったアンナだけではなく、死んでしまったヴィロンスキーの「もうひとりの俺」も意味しているのだと思います。それにぐっときました。そしてセルプホフスコイが「生きて戻ってこい」というのもものすごくきました。だって、もうその時のヴィロンスキー(もうひとりの俺)は死んでいる訳だから。
そんな感じに終始いたいたしくて、ほんとこの物語救われない、つうか麻尋ヴィロンスキーが救われなくてないなあと思いながら3公演を観続けたのですが(がんばりすぎ)、千秋楽の時、ヴィロンスキーが最後にアンナの日記を抱きしめて、すうっと上を向いて少しだけ笑ったとき、「あ、もう一度生まれたんだな」と思いました。アンナが日記で言う「あなたの愛に生かされていた」。
ヴィロンスキーの愛ゆえに「もうひとりのわたし」が生まれて、
そして今アンナが残した愛ゆえに「もうひとりの俺」がみたび生まれた
感想というか解釈というかつうかSSじゃん!とは自分でも思います。多分これ、本来の物語からもケーコたんの意図からもかなりずれているんじゃないかと。ただ、私にはこう見えたんです。何言っているんだろうと思ったら、この人かわいそうな人だと思ってください(ホント最近こうやってしゃべることに完全に自信がない)(それでも、今私が感じている事には間違いないから、喋るんだけどね……)。
多分もうちょっと喋ります。個々の役者の話とか。
お口直しにいつものその他メモを。というかその他メモ(コネタメモ)は、観劇から日が立つとどんどん抜けていく事に最近気づいたので。
[星組メモ:アンカレその他メモ]
・十碧れいや君を初めて認識したのですがKIMIでかいな!(素)。男役スキルはまだまだなんですが、丁寧な芝居で好印象。なんだかやたらあったかいセルプ(略)(略すな)でした。雰囲気的に天希かおりさんを思い出しました。
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05月06日(火)
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