ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
[828374hit]
■窓ガラスに指先のモールス、光の人
私この物語で印象に残っているのが3回出てくる「プロポーズ(相手に指輪をはめてくれる)」なんですね。あれは斎藤君なりにそれぞれのカプを象徴というか対比だったのかなぁ。和実から若菜さんへ、ケビンからミーナへ、ミシェルからジョセフィーヌへ。それぞれ妙に印象に残っています、斎藤君が意図したかはどうかはさておき。
で、そこまでするなら是非和実からジョセフィーヌへの「相手に指輪をはめる」をやって欲しかったんですが!(前のめり)
1幕でジョセフィーヌの父を殺したのは自分だと言う和実、その和実の愛を同情にすぎないと言うジョセフィーヌ、ここで自分の愛は真実であることを証明する為に和実が(プロポーズの)指輪を用意するとします(まあむっさん短絡的)(つうかそれ逆にジョセフィーヌの神経逆なでするんじゃないか?)(いやでもこの時代の日本男児の無骨さを端的に表現)(まあ偏見)。けれども指輪をはめてあげることは出来なかった。で、2幕の最後で再会した二人、和実は片時も離さず持っていたかつて渡しそびれた指輪をジョセフィーヌにはめようとする。けれども目が見えないから上手くはめられない、それをジョセフィーヌが手伝って自分の指にはめるとでも、そうやってはめてくれようとする和実の手を黙って握ってやるだけでもいい……うわー、萌えるー(私だけがな)。
失礼しました(妄想回路暴走終了)。
何が言いたかったというと、何故、斎藤作品がオタク受けするかという話なんですが(ええ?繋がっていないよ)(まあ聞け)(指差しビシィ!)。
斎藤作品は萌えシーンの提示というか、単にオタクのツボを突きまくる北斗神拳のような作品なんじゃないかと思いました。
で、オタクというのはそうやってツボを突かれるとだらーっと漏れるもんなんですよ(上記の例参照)(それはむっさんだけだよ)。そもそもオタクというのは、二次創作というか、アニパロというか、ぶっちゃけ妄想とか、そういうものになれているというかそういうものをついしてしまう人種なんだと思うんですよ(それもむっさんだけだ)。だからオタクツボを突く斎藤君(単に自分のツボをついているだけなんだけど)(笑)、そのツボを持っているオタク、需要と供給が一致するんです。で、多少の物語の破綻はツボを突かれたことによって発生する自分の脳内の二次創作物で補完できたりするんですよ(だーかーらー、それはむっさんだけだから!)。
一般的な観客は舞台をそのまま受け止めるというか、舞台から受けたものに対して自分が何かするってないですよね?そのまま受け止めるだけじゃつまんないよね、「やっぱりこうもやもやしないと!」とは良くかおりちゃんと言い合っていることなんですが(笑)、そう言った意味でもやっぱり斎藤君の作品は一般的ではない(そのまま受け止めるのにはアラがありすぎる)、オタクには受けるという図式が成り立つのでないかと。
さっぱりわからなくなりました。
[その他小メモ]
……まだしゃべるのか。
・実は今回「吉正!神!」と思ったのは、数々の萌えシーンの提示ではなくて、キリヤンにあの時代の日本人という設定を振った事だと思います。キリヤンのミニマムさ(禁句!)と、自閉感が生きるというか。
・そんな訳でラストも好きなんですが、1幕のジョセフィーヌとのデートシーンがかなり好きです。生真面目で堅物な日本人という感じ、でもあの当時のインテリとしての礼儀というかエスコート術も備えていて、その中に垣間見えるちょっとカワイイ部分とか、ちょっとお茶目な部分とか、そうやってくだけて楽しくなっていく和実っていうのがすごくよかったなーと。あのちょっとはにかみながら踊る様はたまりませんでした。
・あとやっぱり「歌えることは武器」なんだと思いました。
・るいるいの川島芳子はアリでした。というか思ったほど脚本に史実の川島芳子としての意義というか、史実そのものがどうでもよく描かれていたので、あれだけ実在の国名、人名を叫ばれても、「この人って川島芳子(史実)みたいだなぁ」とか「これって満州国(史実)みたいな話だなぁ」と言ったカンジです(笑)。
[5]続きを読む
05月03日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る