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マシンガン★リーク
by 六実
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■僕のあけびをむいてくれ
 少し脱線して、夏コミで壮マト部プチ会談をしたときに、先にムラで見てきた吉野さんが未見の私に
「壮さんのキャリエールだったらエリックを社会にちゃんと出して守って育てることができただろうに」
 って言っていたのが印象に残っているんですが、同じ「社会」っていうキーワードが出てきたので、あながち私の感想も見当はずれではないのかな……と。

 父の義務は社会へ子供を適応させること、あるいは社会から守ること。
壮キャリエールの場合は後者がいきすぎて、「社会から隠蔽する」になっていたような、そんな印象でした。
 だから愛情よりも義務が先立つ。そうやって愛よりも義を重んじる壮キャリはまさに私が考える壮さん(武士道のひと)だったなあ、そういうキャリエールがあったのかと、と客席で唸ったものです。

 そうして「社会」からの隠蔽が終わる、あるいはキャリエールが「社会」からの呪縛(!)から解放される。それはエリックが社会との繋がりを完全に断つこと。すなわち「死」でしかなかった。
 キャリエールがファントムに仮面を渡した瞬間から、社会からの隠蔽が始まり、その時からこの「オペラ座の怪人伝説」の終わりは「怪人の死(怪人が社会から断たれる)」しかなかったように思います。

 
 もしベラドーヴァ亡き後、エリック(キャリエールからみた他者)が自分の顔を見なかったら(そうして化け物という評価をしなかったら)、そしてその嘆きがオペラ座(社会)におそろしいと評価されなかったら、そうしたらあの地下で二人はいつまでも社会(他者)との関係を持たないままで幸せに暮らせたんじゃないかな……だってキャリエールはエリックを認め受けいれ愛していたんだもの。
 けれどもそれができないことは、誰よりもキャリエールがわかっていた。だから彼は社会とエリックの関係を「隠蔽」という形を選んでしまったんだな、と。
 「オペラ座の怪人伝説」はキャリエールが作ったものに他ならない、という思いを強くしています。


 そうして私が一番ひっかかっていた銀橋の場面。あそこはまもなく迎える「社会からの断絶(死)の予感」を前にして、頑なに愛情より義務を優先してきたキャリエールの、愛情があふれ出した場面に思えたのです。
 で、不思議とあの「お前はすばらしい歌手になれたはずだよ」がイヤじゃなかったんですよ。そうやってエリックの顔を認め受け入れ愛しているキャリエールだって、わかっていたから「ひどいかおだと思った」も、ひどい言葉とは思わなくて、気の置けない親子のからかいあいみたいだった。なんか「お前は本当に勉強ができないな、なんだこの成績は、でも父さんはお前の誰よりも優しいところをしっているよ」をふまえた上での「バカだなぁ」みたいな?
 あるいは、デブとかハゲとかの肉体的欠陥のひとつにすぎない、たまたま持った欠点にしかすぎないものとして「エリックの顔」をひどいと言っている軽さというか。
(たとえたのにわかりにくくなるのは六実仕様です)


 パレードのキャリエール(いや壮さんなんだけれどあえて)の晴れやかな笑顔で「お前は愛しい息子だ」と歌いあげるのが、その銀橋からつながって、ようやく社会からの呪縛から説かれて、義務から解放されて、ただ愛情だけをエリックにうたうことができた、という風にしか見えなくてね……いや、パレードだから晴れやかなのは当たり前なんだけれど、ずっと義務を果たそうとしていた父の愛情がばーんと爆発していたみたいでね……思わず、落涙。


 たった一回の観劇で壮キャリエールからこれだけの事を読みとりました……私のせいじゃない、壮さんのせい……たぶん……。これにエリックの視点をからめながら、さらにはクリスティーヌの事もからめたいのですが、さすがに今回それはかなわず……。が、やっぱり壮さんの役作りはすごく好きだと思ったし、義の人・壮一帆(六実しらべ)らしいキャリエールだったなぁと。



 久しぶりにがっつりかたりました。言うまでもなく、一回しか観ていない私の「※個人の感想です」


 しかし文章をかくちからがおちているねぇ……あとまわりくどくてわかりにくくてすみま、せん……

09月22日(木)
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