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マシンガン★リーク
by 六実
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■本当の事を言わないのと嘘をつくの、どっちがいい?
この言葉が正にそうだなぁと。でもそこから私が「じゃ二人はホモなのね(ウキウキ)」という方向にいかなかったのは(笑)、その「ネロの形にしか開いていない」っぷりが半端なさすぎると思ったからなんですね。二人の共存、共生っぷりは友情でも恋愛感情でも語れるものじゃない。ぶっちゃけ、エスコバルはネロに「寄生」していたんじゃないかなと。
サルディバルに裏切られ、戦いの結果が「ろくでもない」事になった事に、二人ともどれだけ絶望したんだろうか、ということは二人の会話の端々から伺えて。きっとそれは立ち直ることのできない絶望だったんじゃないだろうか。きっと一人では立ち直れなかった。ネロがそこからどうやって立ち上がったのかはもうちょっと後で検証しますが、エスコバルはその立ち上がったネロに「寄生」することでようやく立ち上がることが出来た。けれどもネロもまたエスコバルに「寄生」されていたからこそ、立ち上がれた。そうやってお互いに共存しなければ、立ち上がることはできなかった。それぐらい二人の絶望は深かったのではないかと。
それで立ち上がった二人の大きな違いは、これも前に言った通り「生きているネロ」「生き残っただけのエスコバル」かなぁと。「寄生」しているエスコバルは決して能動的には動いていない。彼が動くのはネロのため。そりゃそうです、ネロは大事な「宿木」にしてそれはもう「自分自身」に他ならないのですよ。
だからエスコバルは常にネロに警鐘を鳴らしているんです。自分の「宿木」そして「自分自身」を守る為に。再び絶望に向かうことに怯えて、恐れて。「何のために生き残ったんだ、俺も、あんたも」けれどもそういうエスコバルに「何のため」は実際存在しないわけですよね?彼はただ生き残っただけなんだもの。
更にそれでやっかいなのは、その関係にネロもエスコバルも気付いていないって事なんです。「共存」「共生」「寄生」言葉は色々あるのですが、とにかくこの二人は立ち上がる時に互いに依存しあったがゆえに、そのつながりを絶つことが出来ないんです。けれどもネロもエスコバルもそれに気付いてはない。あまつさえエスコバルは「ネロを立ち直らせたのは俺でそんなネロを心配で見守っている」と思っているだろうし、ネロもまた逆視点で同じ事を思っていると思うし。けれども実は二人とも、あの絶望からひとりでは立ち上がれなかったし、立つことができないんです。まさに「(萩尾望都的な)半神」。
エスコバルの「生きて何を」は、その「寄生」していた事実に気付いた、あるいは気付いていなかったとしても、自分の視界が、自分の世界がぱん!と開けた瞬間だったんじゃないかなと。ネロに「寄生」ではなく、ネロと対等に向かい合った瞬間。「じゃあ行けよ」はネロに「寄生」しているエスコバルには絶対に言えなかった言葉かと。だってネロは「宿木」であり「自分自身」なのだから、自分自身を危険にさらすことは本能的にしなかったかと。
倉庫の場面で、机に腰掛けてじっとネロをみつめるエスコバルをずっと見ていました。そこには「宿木」でも「寄生」でもなく、確乎としたエスコバル自身がいて、それぞれの視界・それぞれの世界を持つ対等な関係として存在していなぁと。それまでのエスコバルはネロを心配してネロをたしなめてネロに警鐘を鳴らす存在だったんですが、この場面はもうネロが何をしようとどう生きようと俺はお前を認めているから、お前を見届けてやる。そんな風に見えたんですね。
最後に港で死に行くエスコバル、というかユミコ氏が毎回毎回いろんな風にとれる表情をしていて(実際その都度感じることが違っている、みたいな事をムラの茶会報告で読みました)、ほんとうにぐうっと胸にくるのですが。私はあそこは「ネロを助けられてよかった」も「チャモロを逃がせてよかった」という文脈もあると思うのですが、一番は「限りある命が終わるその時までに、俺は俺の為に生きられた」なんじゃないかなぁと。「生きて何を」からずっと感じていた、エスコバルの周囲の空気の密度が、あの場面で更にぎゅっと濃密になって、本当にこれが「エスコバルの世界」なんだなぁと。(だからぐっとはきたけれど、死に行くことに不思議と悲しみはなくて、むしろ「よかったねえええ!」って気分でした)。
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11月19日(水)
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