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マシンガン★リーク
by 六実
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■柱のきずはおととしの、背中のきずはおとといの
・遅ればせながらナウオンを観ました。いやあ碧海りま君かわいいね!(そこか)いちいちいちいちリアクションがかわいいね!おねえさん大好きになりそうだわ(かわいそう)。麻尋の言う「ヴィロンスキーという人間を一番理解するのは自分でなくてはならない」という言葉が印象的でした。やっぱり私が好きにならざるをえないよなぁと(素)。人の話をいっしょうけんめい聞いている様が、なんだかひどくかわいかったです。


[星組メモ:「アンナ・カレーニナ」作品総括、など]

 前述通り、千秋楽にかけての3公演をみっしり観てきた訳ですが、なんとなく想像していた通り、公演ごとに、むしろ公演の一幕、二幕ごとに(主に麻尋から)受ける印象が違って感想がとっちらかっています。どこを基点に話をすればいいのか自分でもわからないのですが、とりあえず作品全体の感想からいってみます。

 実は「アンナ・カレーニナ」という作品はあんまり好きじゃありません。初演はビデオ(時代だなぁ)で見た限りなのですが、どうやっても私の感想は「カレーニンがかわいそう」で終わってしまうのです。確かに綺麗な舞台だし、ヴィロンスキーとアンナの激しい恋というのもわかるのですが、やっぱり最終的には「カレーニンがかわいそう」で主人公二人に感情移入ができない納得できない。なので観る前から思っていたのは、この「カレーニンがかわいそう」を覆してくれるようなものを麻尋ヴィロンスキーとせあらアンナが見せてくれるのかなぁ、というのがあったんです(はい、最初からうっとおしいですこのひと)

 で、そんな私に麻尋ヴィロンスキーとせあらアンナが見せてくれたのは「カレーニンがかわいそう」を越える激しい「愛」ではなくて、それすらも越えるような「魂の双生児」っぷりでした。この二人は本当はひとつのものだったんじゃないか、男女というより魂に近いところでひとつだった。だから(互いに自分自身だから)求め合わずにはいられないし、愛しすぎてしまったんじゃないかなと。
 という感想にどこかで思い当たると思ったらゆーひさんの「LAST PARTY」。スコットとゼルダの関係性に同じ事を言っていました。奇しくもケーコ先生の作品なのですが、その「魂の双生児」っぷりをケーコたんが彼らに求めたわけじゃないと思います。作品の主題的にもそこには男女の恋愛感情がみっしりと生まれるべきなんじゃないかと思うのですが、彼らの舞台人としての若さからか、私にはそれは見えなかったんです(これは現在の麻尋の男役恋愛スキルが低い事も関係しているかと)(後述)。けれどもそれを越えるような魂のレベルでの交感。恋こそわが命、というより命そのものがここで言う「恋」なのだと。彼らが語る「恋」という単語はそのまま命と置き換えてもいいぐらい、それぐらい狂おしくどうしようもなく互いを求め合っていた。それが痛いくらいにせつなくて。だから一度はカレーニンの元に戻りながら、再びヴィロンスキーを選んでしまったアンナにも、一度は離れる決心をしながら再びアンナを選んでしまったヴィロンスキーにも、私的にようやく納得できました。物語の中で彼らが非難される度に「だってしょうがないじゃないか、彼らは元々ひとつのものだったのだから」と思いっきり援護していた私。何よりも、そうやって求め合うヴィロンスキーとアンナは傷つけあっている。互いを求めることが互いを苦しめることとわかっていながら、血を流しながら求め合う彼らだったと。

 麻尋が破壊的な(笑)芝居をするのは想定内だったのですが、せあらも結構破壊的な芝居の質なのだと気づいてびっくりしました。破壊、っていうと言葉が悪いのですが、なんというか二人とも「すっぱーん!」って感じのイキオイで(笑)「俺/私の中に目覚めたもう一人の俺/私」を演じていた。それがまた今回私がすとん、と作品に納得できた要因かなと。

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05月06日(火)
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