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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■台湾プレミア(更新)●プレミア動画●明報周刊●康煕来了(追記あり)
2000人もの人が集まったそうです。
Derrickのサイトで早くもニュースと写真をアップしてくれてます。
こちら
大勢の人を見て、武は、
「故郷のみなさん、端の上のみなさん、お騒がせしている近隣のみなさん」と
呼びかけ、「赤壁」は面白いので、続いて公開される第2部も期待してください、
とあいさつしたそうです。(中央社)
●追記 9:10
で、続くチャン・チェンは、あと誰に挨拶していいかわからない、と言ったとか。(聯合新聞 7.9)
写真がここ、写真と動画も(記者会見ですが)
りんごにも大きめの写真なるけど、やっぱりムカつくから張らない。
今回、武のセリフが吹き替えであるのは、スケジュールがとれなかったためと。
撮影だけでいっぱいいっぱいだったということですね。
もともと出演の予定がなかった作品だから、姿が見られるだけでもうれしいと
思わなければバチが当たります。
今回聞けない声は、「二十面相で」。
●プレミア動画 15:00
武の挨拶、入ってますね。
手に孔明の羽扇を持っていたんですね〜。
プレミアの回数重ねる毎にどんどん麗しくなっていってます。
楽しそうだし、みんな、気持ちが通じ合っているような
いい感じです。(^^)
I'm Vlogにレッドカーペット(短い)ほか、もっと動画が出てきてますね。
●台湾記者会見写真 16:00
脈絡なく、メモ代わりに。ここ.
いい写真が多いです。
●明報周刊
同じくDerrickのサイトで紹介されていた香港の「明報周刊」の記事。
読んでみました。この写真の載ってる雑誌です。
ウォン・カーウァイの影響で音楽界に別れを告げる
金城武、トニー・レオンの結婚をうらやむ
1994年、ウォン・カーウァイの「恋する惑星」は、
台湾の日本人の父親を持つ混血のいい男、金城武を日本に知らしめた。
98年、金城武は初めての日本の連続ドラマ「神様、もう少しだけ」に出演、
日本市場を攻め落とし、アジア全体で人気者になった後は、
人気が高まれば高まるほど、
香港や台湾の音楽界との距離はますます遠くなるようでもあった。
近年単独インタビューを受けることの非常に少ない金城武だが、
ジョン・ウー監督との初の仕事である「赤壁」のために、
「明周」の独占インタビューにこたえた。
ジョン・ウーと早くも97年に知り合っていたことを打ち明けた他、
長年アルバムを出していない理由を明らかにし、
良き友トニー・レオンとカリーナ・ラウとのまもなくの結婚にもで話は及んだ。
今年34歳、「外国女性が最も美男と思う中国男性」と評される金城武は、思わずこうもらす。
「男が結婚し、落ち着く先を持つ、本当にうらやましい!」
「赤壁」は紆余曲折だった。
初めはトニー・レオンが諸葛亮役を辞退、金城武が代役となった。
しまいにはチョウ・ユンファが周ユ役を辞退、トニー・レオンがそれを引き受けた。
ジョン・ウーは93年にハリウッドに進出したが、
97年にすでに日本で金城武と知り合っていたのである。
「初めて会ったのは、監督が『フェイス・オフ』のプロモーションで東京に来た時のことです。
そのころ、ぼくは日本で撮影中でした。
彼に、一緒に食事をと言われて、すごく緊張しました。
「男たちの挽歌」を見て以来、監督の映画が好きだったし、
ハリウッドで大成功したのも知っていましたから、
食事のお誘いがあったときは、とても緊張しました。
ちょうど、今のあなたのように、ぼくの向かい側にすわってね。
全然偉そうでなく、謙虚で、すごくいい人でした。
ぼくは、どうして誘われたのか知りたかったけど、
彼に対して、まるでファンみたいな気持になってましたね。
彼はただ、ぼくから日本の撮影の様子について聞きたかっただけなんですけど。
それから、ぼくにどんな映画がやりたいかとも聞きました。
コメディが好きだと答えたら、スタッフの人がぼくの太ももをギュッとやるんですよ。
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07月09日(水)
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