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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■見てみたい金城武(新京報)
昨年暮れ、大陸の新京報に載った、北京の映画評論家、表江という人の文章です。


どんな金城武を見てみたいか

金城武が内地に来ると、たちまち無数のフィルムを使い果たさせ、
女性記者の心臓の力に試練を与える。
近くで彼を見た同僚の言葉を借りると、
「彼は人類の進化の極致だ」ということだ。
そして、この言葉をMSNで広く放送したとき、
全女性が賛同しただけでなくと、男性にも支持する者達がいた。

金城武は、中国人スターの中では、2人といない、複製不可能な存在である。
徹底的にかっこよく、徹底的にミステリアスで、徹底的に控えめだ。
私は、彼がどのようにして今日のごとく変わったきたのか、ずっと興味を持ってきた。
もし、1990年代台湾の四小天王<Wミー・リン、ニッキー・ウー、エリック・スン、
そして金城武をまだ覚えている人なら、多分私の疑問の意味がおわかりだろう。
当時の金城武で一番印象的だったのは、顔が面長だということで、
今日の、どんな場でも常に威勢あたりを払う中華スターになる素質など、
全然見出すことはできなかった。

今、そのころのことを持ち出すと、金城武本人は、とても恥ずかしそうだ。
例えば、今年の金馬奨授賞式典で、アン・リー監督が、
1994年に初めて金城武に会ったときのことを覚えていると言い出したときのように。
そのころの金城武は、ちょうどニッキー・ウー、チャーリー・ヤンと
「報告班長」に出演している最中だった。

だが、金城武がはっきりと覚えておきたいのは、
おそらくその同じ年に出演した「恋する惑星」だろう。
ウォン・カーウァイの作品でシェフサラダをしこたま食らってから、
かつて朱延平作品で、さきほどの小天王たちと同じように、
でたらめなことを繰り返していた金城武は、徹底的に変わったように思われる。
その後の金城武は、基本的にはコメディ映画から離れ、
小天王の浮つきも次第に消えていった。
依然として若者のアイドルの位置にはあり、
今日に至るまで、彼には少年の雰囲気が消えないけれども、
同時代の男性俳優たちを凌駕する持ち味は、
このようにして作り上げられてきたのだ。

ただ、金城武のかっこよさは最高ではあるが、
1人の俳優としての道のりを考えると、
私は、まだまだ進むべき空間を残しているように思う。
彼の頂点は、事実、1997年の「不夜城」のままで止まっている。
「不夜城」以前、金城武がこんなにもクールに、
絶望を身にまとって歌舞伎町を歩むことができるなど、誰も想像さえしなかった。
だが、その後の「君のいた永遠」「ターンレフト、ターンライト」
「リターナー」「LOVERS」等々では、金城武のユニークさと柔軟さは、
完全に掘り起こされたとはいえないのが事実である。

これは、おそらく金城武の出演作選びの基準が比較的高く、
そして中国語映画には彼をうなずかせることのできる監督が、
実際多くないことが関係しているのかもしれない。
私の考えでは、彼が、もしまだ映画などもう出たくないというほど、
雑念をなくしてしまっているのでなければ、
一緒に仕事をすることを考えた方がいい監督が2人いる。
1人はアン・リーで、もう1人はジョニー・トーだ。

アン・リーは金城武に深い印象を持っており、組むのに問題は全くあるまい。
そしてアン・リー作品の感情の細やかさも、
金城武の演技にとって大きな試練となるだろう。
また、ジョニー・トーも、金城武と仕事は初めてではなく、
トーがプロデュースした「パラダイス!」も、
金城武の演技が非常にユニークであった作品だ。
さらに、現在のジョニー・トーはまた一歩成熟期に入って、
作品の持ち味、構成力が絶えずレベルアップしている。
金城武のクールさと銀河映像作品の表現する絶望とは、
天成の名コンビ≠ニなるはずだ。
今の金城武が大スターになりすぎて、
トーがコントロールしにくいと感じることがあれば、
うまくいかないかもしれないが。
しかし、アン・リー、あるいはジョニー・トーの作品に

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01月15日(日)
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