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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■中国「BAZAAR」の記事について & VAIOのCM関連記事
4回に分けてご紹介した中国「BAZAAR」の記事ですが、
基本的には金城武に魅力を感じる記者が、それを伝えるためのものと思います。

チャン・ツーイーの映画と言われようと、作品への評価が賛否相半ばしようと、
「LOVERS」によって金城武の魅力が、中国の観客に対して
初めて全面展開したのは間違いなく、その印象は強かったと思います。
「(プロモーションで)それほど知名度がなかった北京では、
実物の美しさに女性記者たちが大騒ぎしたほどだという」(中国語世界2004.9.16)
といいますが、実際そうでしょう。
(ちなみに我が中国語の先生は、武の写真入記事を見るなり、
「この人、きれいなんでしょう、映画で。中国人がすごい美男子だったって
言ってましたよ」と言いました)

そういう意味で、間違いがあろうとなんだろうと、
大陸の記事は興味深いのですが、
とはいえ、ちょっと読んでみればわかる誤りがごろごろと……。
例えば――

>映画のプレミアに姿をみせないことが多く、記者会にはいつも遅刻だ。

記者会見に遅刻は大陸のLOVERSプロモのときだけです、私の知るかぎりでは。
プレミアに姿を見せないことはなかったんじゃないかな。
1つ、「ターンレフト ターンライト」の中国プレミアは、
「LOVERS」撮影中のため欠席。そのくらいで、メインのものには顔出しているはず。
それに付随したプロモには、スケジュールで出られないことはありました。
「ラベンダー」のときとかね。

>彼にとっては、芸能界の仕事は弁当屋を開く≠謔、なものなのだ。
>開店すればその日は頑張るが、売れ行きが悪くても、
>食えないのでなければかまわないし、
>店を閉めることになったからって痛手というほどではない。

「弁当屋」のたとえのオリジナルは、こういうことだったはず。
「10代のみならず30代以上の女性にも人気があるのをどう思うか」という質問に
こう答えたと、日本の雑誌が伝えています。
「たとえばもし僕が弁当屋さんだったら、それが若い女の子に売れようが、
男の子に売れようが、いっぱい売れればうれしいと思うだろうし、
それと同じでどの年代でも、僕の作品を見に来てくれるとうれしいです」
(「JUNON」1998.10)
どこかでこれが変わってきたんだと思う。

>中学に進んでからは、順調な日々とは言えなかった。
>台湾人のクラスメートは彼のことを日本人だと言い、
>日本人は台湾人だと言う。

中学(小学校も)は日本人学校だったから、「台湾人のクラスメート」はないはず。
幼稚園も、日台両方の子どもが通っていたけど、クラスは分かれていたそうですし。
(台湾人クラスのほうにスー・ヨウポンが同時期いたわけです)

>シルビア・チャンはこう言っている。
>金城武は宇宙から来たみたいで、私と彼とは脳波が違い、
>コミュニケーションが取れなかった。
>だからこそ「君のいた永遠」が生まれたのだと。

この話、私は『心動電影記事』という本に載っていた、
シルビア自筆のメモで読みました。
でも、それは武が10代のころのことで、コミュニケーションがとれなかったため、
仕事は実現しなかったのです。
何年か経ってから、シルビアが成長した武の姿を雑誌か新聞で見て、
「心動」の浩君を見つけた! と直感し、オファーに至るわけです。

>劉健一は黒社会の一員で、父親は日本人、母親が台湾人。

これは、父母逆だって、すぐわかりますよね。

>全身が躍動する疾走から肩を10度から15度揺らす歩みに至るまで、

この表現は大陸の雑誌「HIGH」(04年10月号)で見ました。
10月10日のDiary参照。

かなり大ざっぱな記事の作り方だな〜と、私なんかは思うわけですが、
実際に見た作品、そしてマスコミを通じて知った各種情報から
金城武観を組み立てているという点においては、私だって同じことをしているわけです。
ただ、初歩的な間違いが多いことと、
すでに一部で作り上げられているイメージに寄りかかりすぎている印象があります。

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