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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■チャン・イーモウ、オスカーについて語る
ずっと「Lovers 十面埋伏」のプロデューサーの話を紹介してきましたが、
チャン・イーモウ自身は、アカデミー賞について
どう考えているのか、北京青年報に先日載った記事です。

中国人がオスカー・コンプレックスを断ち切るには
二、三十年かかるだろう

米アカデミー賞の話に入る前に、チャン・イーモウは記者にこう質問した。
「アカデミー賞について、まだ何か語ることがあるだろうか?」
言外に、オスカーについてはさんざん語られてきたと言っているのだ。

オスカー・コンプレックスが解消するには、
中国はまだ30年必要だ
果たして、チャン・イーモウは、
直接「中国人のオスカー・コンプレックス」の話題に入った。
「私のこれまでの経験から見ると、20数年前には、
中国人が国外の賞を獲得するのは大変なできごとだったように思う。
「紅いコーリャン」のように、国中で話題になった。
だがこの10数年、各種大小の映画賞を受賞することは
まったく普通のことになっている。
3大映画祭しかり、5大映画祭しかり、8大映画祭でも受賞するようになって、
中国人の賞コンプレックスは、基本的には解消したと言えるし、
映画祭コンプレックスはなくなった。
ただ、オスカーだけがまだ脱け出せない。だから、毎年話題にするのだ。
いつになったら、中国人がオスカーを獲得するのが
珍しい話ではなくなるのだろうか」
その時期について、チャン・イーモウはこう予測した。
「あと二、三十年はかかると思う」
そして言い終わらぬうちに笑い出した。

アカデミー賞は1つのゲーム、特別なものじゃない
もし、オスカー・コンプレックスが、
中国人なら誰しも持っている民族心理であるとすると、
中国文化の創造の最前線に立つ1人としてのチャン・イーモウの内面に、
オスカーはどのようなものに映っているのだろう? 
これに対し、チャン・イーモウは、やはり簡潔にこう答える。
「オスカーは、実は、愉快な、アメリカ人による、アメリカ方式の
大がかりなゲームだ」
そして、「何回か式典に出席したが、実際に見ると、
誰もが非常に楽しんでいるなと感じる。
受賞者は泣き、落選者もまた泣き、祝福して抱きあい、
壇上に上れば相手をほめたたえる……
1人1人が、服装からキャラクター、スピーチまで、
自分の独自性を上手に発揮することができる。
最後にまた一堂に集まって、一晩中にぎやかに過ごす。
絶えずあちこちの輪から輪へと移り歩き、交歓する。
それは我々のような外国から来た者も同じだ。
だから、これは1つの楽しい、アメリカ人の、
アメリカ方式の大がかりなゲームだと言うのだ」

しかし、それゆえに、彼はこう考えてもいる。
「このゲームは終わってしまえばそれまでだと思う。
これによって利益を受ける者を多く生むかもしれない。
例えばある俳優が1度オスカーを獲得すると、
次の年は、1000万ドルを越えるギャラで5本の映画と契約できるように。
これは非常に具体的な話だ。
だが、それ以外は終わってしまえばそれまで、何にもならない。
毎年このようなゲームが繰り返されることに、何も特別な意味はない」

国家が強大でありさえすれば、ゲーム≠煖ュ力に
アカデミー賞もまた、その実一場のゲームではあるとしても、
このゲームの背後で引き起こされる無数のテーマは、
決して芸能ニュース≠ネどが簡単に解明できるようなものではない。
チャン・イーモウはこれについても、こう問いを立ててくる。
「1つのゲームが、なぜこんなに多くの話題を巻き起こすのか? 
なぜ全世界が注目するのか? 
なぜ、こんな遠い我々中国人でさえそうなのか? 
それはアメリカ映画の力が強いからさ!」

彼は話を続けながら言い直す。
「アメリカ映画は商業映画が中心なのだよ。
アメリカ映画が強いというのは、商業映画が強いということだ。
興行成績と市場占有率が高く、全世界に影響を与えている。
だからアメリカ人は毎年楽しくこのような大きなゲームをして、
世界中の人間が無視できない。

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03月13日(土)
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