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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■ニッキー・ウーと金城武の交友●追記(訂正)
香港のDerrickのサイト(Takeshi Kaneshiro Net)のBBSへの投稿で、
ニッキー・ウーのファンサイトに書かれた、
ニッキーと武の交友についての文章が紹介されていました。
その文章がなかなか泣かせるので、ご紹介してみたくなり――
ニッキー・ウーはご承知の通り、アイドル時代の武とは
よく一緒に映画やテレビに出ていて、仲も良いらしく、
その縁で親近感を覚えるのと、
ビデオをいつも横で見ていた娘が、彼のファンにいつのまにか
なっていたのとで、ひとごとには何となく思えない存在です。
1は、ニッキーの言葉で、日本の雑誌のインタビューで
似たような記事を読んだ記憶があるのですが、こちらの方が少し詳しい。
ニッキーの誕生会の前に、武の台湾での誕生会にニッキーが駆けつけて
参加してくれたということがあって、これはいたく感激した武の
恩返し的出席だったと思います。
過去のDiaryをニッキーで検索してみてください。
志朋は陳志朋。ニッキーの属す3人組小虎隊(台湾の少年隊的存在)のメンバー。
もう1人がスー・ヨウポンです。
2は、2000年の金馬奨のときの話で、このときは総合司会が陶子、
司会を北京語のあまりうまくない香港のスティーブン・フォンと、
当時フーロンに加入してまもないニッキーがコンビで担当した
ということを承知するとわかりやすいでしょう。
ニッキーは今もフーロンなのでしょうか?
ちなみに、武は初めサミー・チェンと組むと言われていましたが、
サミーは歯痛で欠席、それでかどうか、
武が希望して朱延平監督と2人でプレゼンターを務めました。
ネットを探していただければ、
このときのやりとりを紹介してくれているところがあるはずですが、
この少し前、「スペーストラベラーズ」の台湾でのプロモに訪れた武が、
陶子のインタビューに答える中で、
朱延平の作品は「Quolity 不好(質が低い)」と放言して、
陶子を飛び上がらせたということがあったのです。
そのシーンを、この金馬奨で、2人の登場直前にスクリーンで流すという
いたずらな仕掛けの後、登場した武と監督。
発言の真意を説明しろと迫る監督に、武がニッキーを名指しで引っ張り込んで
弁明にこれ務めるという爆笑の一幕がありました。
1.ニッキー・ウーと金城武
金城武との間には特別な感情がある。
志朋が入隊した後、ぼくは初めてのソロルバムをリリースした。
ちょうどそのころ、金城武もデビューアルバムを出したんだ。
そういうこともあって、ぼくたちは仕事場でよく顔を合わせ、
自然に話をするようになった。
香港で仕事をするようになったとき、金城武も香港でがんばっていた。
誰であろうと、全然別の仕事環境に入ってやるときは、
新米としてばかにされるのは免れないと思う。
マスコミのあれやこれやの言い草や、他人がぼくらを見る目にぶつかったとき、
ぼくらはいつも互いに励まし合って、こう言い合った。
「今に見てろ!」。
その間(かん)、2人はよく比べられたが、
ぼく達は本当に良い意味のライバルであって、
相手を悪く言ったことは1度もない。
2人のつきあいはどんなものかって?
そう、たとえば長いこと離れていたのに、会えばいつまでも話し込む、
そんな友人同士じゃないかな。
こんな友達関係は誰にとっても、なかなか得られないものだと思う。
その後、金城武は1人きりで日本に進出し、1、2年滞在したが、
初めの頃はきっとすごく大変だったに違いないと、ぼくは思ってる。
今、彼が成功したのは、当然のことだよ。
彼がずっとどう努力してきたか、わかっているから、
嫉妬なんかない。祝福の気持ちだけさ。
2.金城武のニッキー・ウーへの好意
1993年のことだ。
23歳のニッキー・ウーは、マスコミ各社が自分のために開いてくれた
誕生会に1人出席した。
金城武もニッキーを祝うために駆けつけた。
良く知った友人の姿は、ニッキーのその年の誕生日を
より心温まるものにしてくれた。
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01月27日(火)
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