ID:23473
武ニュースDiary
by あさかぜ
[6278060hit]

■釜山のバーティー●追記
大勢友達がいて、友達がその友達を連れて、旧市街の地味な飲み屋に集まった。
一種言葉にならない、映画人同士の、親密な喜びがあった」ピーター・チャンは語る。

「スリー」の1本目は、ピーター・チャン、金知苦、ノンスィー・ニミブットが先陣を切った。
その後、朴賛郁、三池崇史、フルーツ・チャンにバトンタッチされた。

「3人の監督が3つの物語を撮り、合わせて1本の映画にするという、
やや強引≠ネ創作方法は、実はあまり簡単ではない。
各地の配給会社は自分の国の部分だけほしくて、他の2つのパートはどうでもいい。
だが、我々は全部買えと迫り、全部見ろと観客に迫り、なんとそれが予想外の大ヒットとなったんだ!」

今年、吴姃玩は初めて釜山映画祭で審査委員になり、
ピーター・チャンは自分の作品「武侠」を携えて再び釜山を訪れた
――10月末、「武侠」は韓国で公開される。配給元は、今度もまた吴姃玩率いる「BOM春映画」だ。
彼女は「武侠」のために多額の宣伝費を投下して人を驚かせた。
その中にはもちろん釜山で開かれたこの夜のパーティーも含まれている。

吴姃玩は台上で、「10年前、ピーター・チャンが初めて釜山に来て、
私たちは今でも語り草になるパーティーを持ちました。
10年後、彼は再び釜山を訪れました。
私たちはまた、10年間記憶に残るようなパーティーを開くべきだと思います。
みなさん、楽しんでください!」

パーティーは地下のバーで開かれた。

ソン・ガンホが来た。ピーター・チャンはわざわざ金城武をソン・ガンホに紹介した。
「武侠」のクランクイン前の2週間、金城武は役の感覚をずっとつかめないでいた。
ピーター・チャンは、こう思わず口にした。「ソン・ガンホのようにやってごらん」
そこで、後の四川語版コナン≠ェあるのである。

チ・ジニが来た。ピーター・チャンが歓迎の辞を述べて、台から降りたところ、誰かに抱きかかえられた。
振り返ると、チ・ジニだった。
「如果・愛(ウィンター・ソング)」の「天使」役は、もともと別の中国人スターだったのだが、
撮影開始の3週間前に破談となったのである。
チ・ジニは3日の内に上海に飛び、カメラテストを行なった。
語学の才能が高いとは言えない彼は、中国語の台詞は言わずもがな、
英語でのコミュニケーションさえ難しかった。
だが、死に物狂いで暗記し、全ての台詞のアフレコと歌唱を完成させた。

タン・ウェイと金城武がやってきた。
もちろん、40デシベル以上の声が飛び交う場所だと、
金城武はいつもさっとかわして、真っ先にずらかる。
ところが思いがけなく、人波のなかに、ずっと以前、一緒に仕事をした
インディペンデント作品「ニューヨーク・デイドリーム」の韓国人監督
チン・ウォンスクと出会ったのだ。
10数年ぶりの再会に、以前よりも落ち着きを増した金城武も感動を抑えられなかった。
そして、「ラスト、コーション」と「晩秋」が韓国で驚異的な好成績をあげ、
知名度が急騰したタン・ウェイが最後まで残った。
ここで彼女は愛され、彼女もまたここを愛している。

実に多くの有名無名の映画人がやってきた。その中には10年前の旧友たちもいた。
パーティーには内緒のプログラムがあった。
韓国映画に最も貢献した外国人と韓国人に対し、2つの賞が授与されたのだ。
前者は、韓国に数十年駐在している「ヴァラエティ」誌の記者で、
後者は、韓国のベテランメイクアップアーティストに与えられた。
メイク師は事前にこのことを知らされておらず、余興だと思った。
ピーター・チャンは賞品のカップをソン・ガンホにあずけ、
「韓国人の受賞のカップは、当然、韓国人から手渡したほうがいいよ」と言った。
メイク師はすっかり驚いて台上に上ると、
「私は今日、何しに来るのか本当に知りませんでした。たった今まで知りませんでした。
ただ、ピーター・チャンがどんな人か見に来ただけなんですよ!」
――「陳可辛」の韓国語読みを、ピーター・チャンは聞きとることができた。

[5]続きを読む

10月15日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る