ID:22831
『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■91歳 私は年寄りではない
1、イタリア:疾走する91歳 陸上で獲得メダルは85個  
http://mainichi.jp/select/world/news/20100502k0000m030074000c.html
毎日新聞 2010年5月1日
2、日野原重明 (99歳)の語録

1〜2日は孫2人を連れて七福温泉に行って来た。妻と2人で疲れて帰って来た感じである。

 やさしい人間学講座で古今東西の歴史に名を残した人たちの語録を紹介した。一番強く印象に残ったのが聖路加国際病院理事長の日野原重明先生である。 今年の誕生日で99歳になられるのに社会の第一線で活躍しているのである。
心からの尊敬をこめて日野原先生語録を25エンピツに引用した。
その中に一つをここに掲示させていただきます。

私は人生の仕事を終えたと思う元気な老人に、
75歳以上からの人生において
何か新しいことを創(はじ)めることをすすめています。
よい出会いがある。それは、あなたの才能なのです。
                       日野原重明『生きかた上手』

 5月1日の毎日で「イタリア:疾走する91歳 陸上で獲得メダルは85個」 
が報道されていた。ウーゴ・サンソネッティさんはローマ市南部、マルコーニ街のアパート3階に一人で暮らす。173センチ、72キロ。
語録のみをここで引用したい
「私は年寄りではない。老人だと思ったことは一度もない」。
「大事なのは常に新たなことに挑戦し目標を持つこと。目標が消えた時、自分は初めて老人になる。でもまだその段階ではない」
ウーゴ・サンソネッティさんは陸上を始めたのは75歳なのだ。
「1940年6月、大学の法学部を出た翌日、ムソリーニが宣戦布告し、青春を奪われた。その後は働きづめだった。75歳で引退した時、青春を取り戻そうと、スポーツに打ち込んだ」

日野原先生の以下の語録をもう一度噛みしめたいと思う。
「75歳以上からの人生において
何か新しいことを創(はじ)めることをすすめています。」
この記録にご関心のある方は是非以下をお開きください。
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イタリア:疾走する91歳 陸上で獲得メダルは85個 
 毎日新聞 2010年5月1日
 陸上競技の国際大会に今も出場し、計85個のメダルを手にした91歳のお年寄りがいると聞き、ローマ下町の自宅を訪ねると、こう言い返された。「私は年寄りではない。老人だと思ったことは一度もない」。その気合はどこから来るのか。メダルより誇らしいと語るその半生を聞いた。【ローマ藤原章生】
 ウーゴ・サンソネッティさんはローマ市南部、マルコーニ街のアパート3階に一人で暮らす。173センチ、72キロ。第一印象は好々爺(こうこうや)だが、ピンと伸びた背筋が違う。
 70歳から体重、体形は全く変わらない。秘訣(ひけつ)の一つは腹八分目の食にある。朝は砂糖を加えた生卵2個をパンにつけて食べ、牛乳0.5リットルとオレンジジュースを飲む。昼はパスタ80グラム、晩は肉または魚80グラムにそれぞれ野菜、果物をつける。間食はとらない。コーヒーは朝夕1杯でワインは少々。たばこは学生時代から1日5、6本。多い時は10本吸ったが、45歳でやめた。「減らすとプールの潜水記録が伸びたので、自然にやめられた。今も25メートルはいける」
 「毎朝ベッドを直し、掃除をし柔軟体操をするが、競技場で走るのは週3回。普通と違うのは高いテーブルで立ったまま仕事や読書をすることだ」
 陸上を始めたのは75歳だ。「1940年6月、大学の法学部を出た翌日、ムソリーニが宣戦布告し、青春を奪われた。その後は働きづめだった。75歳で引退した時、青春を取り戻そうと、スポーツに打ち込んだ」
 若いころからテニスやウインドサーフィンをしてきたが、70代の時、肩の腱(けん)を痛めテニスができなくなった。代わりにフットサルを始めたら「一番年上なのに一番動いている。陸上に転向したらいい」と医師に言われ、走りはじめた。

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05月03日(月)
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