ID:22831
『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■ 派遣切のおびただしい報道

報 道
1、派遣切り無情、50歳元教師はホームレス同然 「屈辱と寒さで…」
                           2008.12.10  産経
2、日産が国内工場で追加減、派遣社員はゼロへ
                           2008.12.17  産経
3、「泣いてる市民見過ごせない」 派遣切りや解雇に救いの手続々
                           2008.12.18  産経
4、解雇された派遣社員ら対象のハローワーク、1カ月前倒し開設
                            2008.12.18 産経
5、派遣会社団体が寮の空き室提供 雇い止めの労働者に、愛知
                            2008.12.17 産経

 派遣切りに関するおびただしい報道がある。このような社会の姿を直視しなければならない。ここでは報道の一部を引用しておきたい。日産の派遣社員は約2000人在籍していたが、全員が解約されることになった。次は正社員の解雇・希望退職の動きが出てくるのではないかと思う。米国同様日本も経験したことに無い労働環境になることは必至と言わねばならない。

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1、派遣切り無情、50歳元教師はホームレス同然 「屈辱と寒さで…」
                      2008.12.10 13:55  産経新聞

 世界的な金融危機の影響で増加を続ける“派遣切り”。「このままでは平成21年を迎えられない」…契約を解除され、仕事を失った派遣労働者の窮状を訴える声は、年の瀬が近づくとともに大きくなっている。
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 三重県の駅構内には、蓄えもないまま派遣先の寮から立ち退きを求められ、ホームレス同然の生活を余儀なくされた50歳の男性の姿があった。
 「屈辱感と寒さで…」
 体の震えはなかなか止まらなかった。
 「申し訳ないが、今回の契約満了をもって終了とさせていただきたい」
 木枯らしが街を吹き抜けた11月半ば。三重県四日市市の大手メーカー半導体工場に勤務していた男性(50)は、登録していた派遣会社から今月末で終わる雇用契約を更新できないと告げられた。
 工場では秋ごろから業績が急速に悪化、約80人いる派遣労働者との契約を打ち切る方針が打ち出されたのだ。
 ほんの数カ月前までは、“次”の職場を斡旋(あっせん)してもらえた。だが、派遣会社の担当者は、無情にこう続けた。
 「こちらでも探してはみますが、なにぶんこの情勢ですから…ご自分でも探してください」
 事実上の解雇通告だった。
 男性は、ハローワークで紹介された約20社を回った。
 「年はいっていますが体は丈夫です。使ってください」
 必死に訴えたが、どこの採用担当者も判で押したように同じ反応だった。
 「35歳ぐらいまでならなんとかなるけど、その年齢ではね…」
 すべて冷たく断られた。
 工場の寮からは退去を余儀なくされた。所持金はおよそ8万円。身の回りの品を詰め込んだスポーツバッグ2つを手に、駅構内で雨露をしのぐ生活が始まった。
 初めて野宿をした夜は、「寒さと恥ずかしさ、屈辱感で思わず涙がこぼれた」。
×    ×
 鹿児島県出身。大学卒業後、福岡市の市立中学校で社会科教諭をした。
 学校の管理職と保護者の板挟みに悩み、平成元年に退職。情報技術系の専門学校に講師として再就職したが、少子化の波が押し寄せ、16年に閉鎖。妻とも離婚した。
 この年、当初は専門性の高い職種に限られていた労働者派遣法が製造業にも解禁され、大勢の派遣労働者が市場に生まれた。
 40代半ばになっていた男性も「一から仕事を始めてもある程度の収入が見込める」と、「派遣の世界」に飛び込んだ。
 最初の勤務先は大分の自動車工場。残業も含めて1日約12時間、重い部品を運ぶ重労働だったが、「手取りで40万円近い月収があった」。
教師時代に故郷の鹿児島に一戸建てを購入しており、毎月返済を続けてきた。

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12月18日(木)
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