ID:22831
『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■レーガン元米大統領が死去 「強い米国」の象徴
日本で最も親しまれた米国の元大統領が亡くなった。第40代大統領ロナルド・レーガン氏が5日午後(日本時間6日未明)、カリフォルニア州の自宅で肺炎のため死去した。93歳だった。94年に老人性痴呆症の一種であるアルツハイマー病であることを公表後、ナンシー夫人とともに闘病生活。最期は夫人らにみとられ亡くなったという。
「強い米国」の象徴として、80年代に2期8年にわたって大統領職を務めたレーガン氏。ベトナム戦争、70年代後半の経済混乱などで自信を失っていた米国民に対し楽観主義を唱え、その自信を取り戻させた「グレート・コミュニケーター(偉大なる対話者)」が93年の生涯を閉じた。日本国民に最も強い印象を残したのは、レーガン元米大統領の信念から来る自信、明るい人柄、ユーモアであったろう。
日々の映像でレーガン税制改革のことを2回ほど書いた。この80年代の税制改革が、90年代の米国の経済発展を支えたのである。米国の大統領は「語る人」でなければならないと言われている。レーガン大統領は、まさに「語る人」を体現した人であったといえる。
メモ @ レーガン元米大統領の語録
メモA ロナルド・レーガン氏の経歴の概要
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癒しの森289 2004年6月7日
古い友人との小旅行
私が25歳から29歳まで勤めた会社があった。28歳の10月(昭和42年)に結婚して、翌29歳の3月に会社は倒産した。先輩経理マン3名が倒産を予測したのか、事前に退社したので、未熟な私が倒産の整理をすることになった。私にとっては貴重な人生経験となった。
この会社は、本社約30名工場約300名の規模で、全員がそれぞれ別々の人生を歩くことになった。この本社30名のうち約15名は、その後「ドリンカークラブ」として数年に1回会って交流を重ねて来た。その年月がとうとう36年にもなった。今回はこれらのメンバーとの小旅行となった。
主な先は、長野の善光寺と松本城であった。松本城とその城を囲む佇まいは、日本古来の文化そのものであり癒しを与える空間であると思った。
・往年の 文化の香り 厳然と 栄華を伝える 松本城かな
My追加
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メモ@ レーガン元米大統領の語録
・「よけるのを忘れてたよ」(81年、銃撃を受けた後、ナンシー夫人に)
・ 「ソ連は現代世界における悪の中心だ」(83年、宗教者の会合で)
・ 「これによって核兵器は時代遅れとなるだろう」(85年、スターウォーズ計画推進を力説して)
・ 「ソ連と東欧の平和と繁栄を求めるなら、ゴルバチョフ氏よ、この壁を壊しなさい」(87年、西ベルリンのブランデンブルク門前で)
・ 「亡くなった時、私はあなた方の最悪の恐怖ではなく、最善の希望に訴えかけたと歴史に記録されたい」(92年、共和党全国大会で)
・ 「私は人生の終わりに向けた旅に出かける」(94年、アルツハイマー病を患っていることを公表した書簡で)(共同)
メモA ロナルド・レーガン氏の経歴の概要
第40代米大統領(共和党、在職1981−89年)。11年2月6日イリノイ州タンピコ生まれ。同州ユーレカ大卒。スポーツアナウンサーを経て、37年ハリウッド映画俳優になり、西部劇など50本以上の映画に出演。42−46年陸軍航空隊で訓練用映画製作などに従事。47年俳優組合委員長。当初は民主党支持だったが、次第に保守主義に傾倒。64年ゴールドウォーター共和党大統領候補の応援演説で注目される。66年カリフォルニア州知事に当選。68年共和党大統領候補指名争いでニクソン氏に敗れる。70年知事再選。75年に任期満了。76年同党大統領候補指名争いで、現職フォード大統領に敗れる。80年11月大統領選で当選。84年11月再選。89年1月大統領任期を満了。94年11月アルツハイマー病であると公表。2004年6月5日死去。(共同)
06月07日(月)
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