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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■足利事件―DNA一致せず冤罪に発展
 DNAは万能ではない。不一致が無罪の証明となっても、一致が有罪の証拠とは限らない、と考えねばならない。技術が向上し、精度が格段に高まった今も、過信は禁物だ。米国では多くの死刑囚を死刑台から生還させたが、一方で微量での鑑定が可能になったため、別人のものが紛れて新たなえん罪を生む危険が指摘されている。足利の事件当時と同じ鑑定方法で多数の有罪判決が下され、死刑を執行された元被告もいるという由々しき問題もある。鑑定の検証や証拠の見直しを急ぐ必要がある。
 上告審の段階から弁護側が菅家さんの毛髪を鑑定してDNAの食い違いを主張していたことも、忘れてはならない。裁判所が疑問を抱き、再鑑定を行っていれば、釈放時期は早まったはずだ。この間、殺人罪の時効が成立し、真犯人検挙の機会が失われたことも見逃せない事実だ。
 裁判員制度がスタートした折、誤判の恐ろしさをまざまざと見せつけられたことを、私たちはせめてもの教訓とすべきだろう。人が人を裁くことの難しさをかみしめ、公正な判断力を培うことを心掛けたい。
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毎日新聞 2009年6月5日 0時03分

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4、社説2 冤罪足利事件は何を訴える(6/5)
                          2009年6月5日 日経
 これは冤罪(えんざい)だった――そう検察当局が認めた格好で、無期懲役囚を釈放した。まったく異例の出来事だ。19年前に栃木県足利市で女児が殺された足利事件の再審請求を巡る東京高検の判断である。

 一審から最高裁まで有罪とした裁判で有力な証拠になったDNA鑑定を、再審請求の抗告審(東京高裁)でやり直したところ、元の鑑定結果が覆された。東京高検はこの再鑑定結果が、再審を始める条件の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たると自認した。

 再審が始まっても検察は争わないわけで、遠からずこの無期囚は無罪の言い渡しを受ける。それならば一刻も早く冤罪の獄から解放するのは当然だが、従来の検察の姿勢からすれば思い切った判断といえる。

 足利事件当時、DNA鑑定の正確性は現在に比べ格段に低く、1万人のDNA型を調べれば12人が同一人と判定される程度の精度だった。

 それでも証拠として評価されたのは、捜査段階で犯行を自白する供述があったからだ。自白は信用できると証明する証拠の一つとして、DNA鑑定は扱われたのである。

 裁判所は、一審の途中から無実を主張し始めた被告人の法廷証言よりも、鑑定結果などを補強材料にして捜査段階の自白を信用した。

 精度が低かったDNA鑑定に依存したのが、冤罪を生んだ直接の原因なのは間違いないが、根底には検察、裁判所に残る「自白は証拠の王」式の考え方がある。

 先に始まった裁判員制度では「法廷で見て聞いて分かる」証拠で有罪、無罪の判断をする。「自白は証拠の王」式の考え方では裁判員裁判はできないのだから、自白偏重の弊は捜査段階から改めなければならない。これが足利事件の訴えるものではないだろうか。

 また、1990年代以降、再審の門戸を狭める裁判所の判断が目に付く。足利事件も、抗告審前の宇都宮地裁はDNA鑑定をやり直さないまま再審請求を退けた。再審請求の審理でも「疑わしきは被告人の利益に」が鉄則だ。裁判員になる一般国民が「なるほどこういうのが被告人の利益ということか」とうなずける判断を裁判所にはしてもら


06月07日(日)
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