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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■チェチェン人のテロ攻撃
から爆弾を降らせて都市を焼け野原にしたり、難民たちの車列と知りつつ上
空から機銃掃射し、国際赤十字の職員もろとも殺戮することはテロリズムで
はないのか。99年のチェチェン再侵攻の時、ロシア軍はためらうことなく
そうした。その後の展開はポリトコフスカヤの本に記されているとおりで、
正直なところ、ページをめくるのが怖くなる時がある。
日本では、こういう考え方はまだ一般的ではないかも知れないが、チェ
チェン戦争とは、ロシアによる侵略戦争だ。初めは、この土地の人々が独立
宣言したことに対する敵意と、エリツィン政権の延命のためだった。94年
の第一次チェチェン戦争の直前、ロシア安全保障会議のロボフ書記が「われ
われには勝利をもたらす小さな戦争が必要だ」と発言したのは、つとに有名だ。
侵略は明らかに失敗しようとしている。対テロ作戦どころか、隠しようも
ない犯罪が毎日繰り返されている。軍と特務機関、オリガルヒや軍産複合体
がそれぞれの利権のために行動し、ロシア領内でのチェチェン関係の事件は
増加し、戦争全体がクレムリンにとって制御不能なものになっている。これ
が、続発するテロ事件の背景だ。
ひとつの地域紛争の舞台であるチェチェンにも、過去と、現在と、未来が
ある。こういうことを書きつづけている私の経験では、一番関心を持って聞
かれるのは、現在のチェチェンがどうなっているかだ。たとえば、チェチェ
ンにアルカイダがいるか、とか。「アルカイダとの関係があるとされるチェ
チェン独立派の犯行とみられている」といった無責任な言葉は、日々の新聞
でお馴染みでもある。帝政ロシアの侵略に始まる、チェチェン戦争の過去の
歴史を知りたがる人は、どちらかというと奇特な人に入る。二番目に聞かれ
るのは、「これからどうなりますか」という質問で、これは未来のことだ。
●情報封鎖の意味すること
このニュースレターを読む人の中には、レポートのためにチェチェン問題
をおおざっぱに理解したいという学生もいれば、情報を集めて「客観的」に
報道するプロも大勢いると思う。そういう人たちにも、そうでない人たちに
も、提案したいことがある。
まず、チェチェンとロシアの置かれた状況を、自分とは関係ないものとし
て捉えることを、もうやめよう。その立場は無害どころか危険だ。私たちが
調べ、それぞれの視点から意見を発表したり、報道することそのものが、悲
惨な戦争の終わりを、早めもすれば、遅めもする。今のように、ロシア政府
の政策に無批判な報道(たとえば「人権」の二文字が使われない記事)が続
けば、それは「客観報道」のつもりでも、この悲惨な戦争の終わりを後に延
ばす役割を果たし、人権侵害を続行させる力になるだろう。続けることで得
をし、批判もされない仕事を、進んでやめようとする政治家や官僚、軍人な
ど稀なのだから。
私たちがチェチェン人を直接助け出すことは、たぶん、ほとんどできな
い。けれども、きわめて効果的な武器はある。わたしたちは今、何冊もの本
を手に入れることができ、星の数ほどあるインターネットサイトから情報を
得て、それをもとに考えることができる。武器は容易にチェチェンに流れ込
んでも、ジャーナリストは入れない。その封鎖が意味することは―――ロシア政府がもっとも恐れているのは、チェチェンで何が起こっているかを、世界が知るという「危険」だ。
だから、時間の歯車を早めて人の命を救うことも不可能ではない。人権侵
害と未曾有の貧困に苦しむチェチェンの人々を意識しながら、報道し、文化
を紹介し、授業や研究会で発表しよう。さらに一歩進めると、ホームページ
やウェブログで意見を書き込んだり、新聞やロシア大使館宛てに投書した
り、芸術の場に引っ張り出すことができる。たとえば歌でチェチェンを歌っ
たっていい。考えつく、あらゆる場でチェチェンにスポットライトをあてれ
ば、確実に関心は高まっていくはずだ。
私たちはチェチェンを知ることができる。それはそのまま、チェチェンの
情勢を良くし、いまより安定した地域にする、その可能性をつかんでいると
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09月03日(金)
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