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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■91歳 私は年寄りではない
35歳以上が出場するマスターズ大会は、35〜39歳の部というように5歳刻みで競う。ウーゴさんは75歳の時、六十、百、二百、四百メートル走、六十、八十、三百メートル障害、走り幅跳び、走り高跳びの各種目に出場し、いきなり上位に食い込んだ。
毎回5、6個手にしてきたメダルは85を数え、百、二百、四百メートル走などで、いまだに破られない10の世界記録を持つ。90歳だった昨年、二百メートルを41秒19、四百メートルを1分54秒71という90〜94歳部門の世界記録を作った。驚くのは、91歳の今年、その記録を縮めたことだ。
「大事なのは常に新たなことに挑戦し目標を持つこと。目標が消えた時、自分は初めて老人になる。でもまだその段階ではない」
陸上にだけ注目されるのが好きではない。「私にはもっと誇れることがあった」。戦後の食糧難だった52〜62年に、イタリア人110家族の移民と現地の人たちを率いて中米コスタリカのジャングルを開拓。密林が今では人口20万の町となった。帰国後は、力量を買われ、冷凍食品大手「フィンドゥス」の再建を任され成功。75歳まで顧問として働いた。
1919年生まれ。がむしゃらに働くことが義務づけられた全体主義のムソリーニ政権下(1922〜43年)に人間の基礎ができた。走り続けるのは、そんな世代とも関係があるのだろうか。
今年の世界大会では95〜99歳枠に参加した人はいなかった。数年後、その最高齢の枠を疾走する筋肉質の男が目に浮かんだ。
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毎日新聞 2010年5月1日 21時35分(最終更新 5月1日 21時45分)
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11、日野原重明 99歳
ひのはらしげあき。1911年山口県生まれ。
37年京都帝国大学医学部卒業。41年聖路加国際病院内科医となる。以来、内科医長、院長代理、院長を経て、現在は、聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護学園理事長、財団法人ライフ・プランニング・センター理事長など。98年東京都名誉都民、99年文化功労者、2005年文化勲章を授与される。早くから予防医学の重要性を指摘し、終末期医療の普及、医学・看護教育に尽力。成人病とよばれていた病気について「生活習慣病」という言葉を生み出すなど、常に日本の医療の先端を走っている。97歳の現在も、医師としての活動を続けている。2000年9月には、これまでの人生で培った経験や過去の教訓を次世代に伝えることを目的に、75歳を過ぎても元気で自立した人を募り「新老人の会」を結成。同年春から雑誌『いきいき』に「生きかた上手」の連載を開始、現在も好評連載中。この連載をまとめた01年12月に刊行した『生きかた上手』(ユーリーグ)はミリオンセラーとなる。03年には『続 生きかた上手』、04年には『テンダー・ラブ』、05年には『新生きかた上手』、06年には『いのちの授業』、08年には待望の『生きかた上手』の文庫版(いずれもユーリーグ)を刊行。これまでの著書は200冊を超える。
人生は習慣化された行動の積み重ねで作られていくものです。 習慣が人間の性格や品性を作るのです。 習慣に早くから配慮した者はおそらく後半の人生の実りも大きいことでしょう。
日野原重明
いくつになっても創めることを忘れない。 そのような生き方をしていきましょう 。人生には幾段もの節があります。 その節目ごとに発想を変えて新しいことを創めてはどうでしょう。
日野原重明
あなたにとってのよい出会い、それはあなたの才能の自己発見です。 偶然の中に隠されている貴重な発見をとらえてよい出会いに育てるには新しい出会いを楽しむ心の余裕が必 要です。
日野原重明
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