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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■「孤立した貧困層」を直視する
 日本人は確かに飢えとの戦いに勝利したが、それと同時にかつて日本に存在した温(ぬく)もりのある共同体社会を失った。江戸時代の長屋住まいの庶民は決して裕福ではなかったが、向こう三軒両隣はお互いに助け合って生活していた。醤油(しょうゆ)が切れたといってはお隣に借りに行く。お萩(はぎ)を作ったからといっては隣近所に配る。大家さんは親身になって借家人の身の上相談に乗る、といった具合だ。
 村では、祭りの際には村民が総出で協力しあい、共に飲み、愉(たの)しんだ。もちろん、田植えや灌漑(かんがい)工事など、共同で仕事をしないと食っていけない稲作特有の事情があったわけだが、村人たちは共同生活の中に、窮屈さと同時に心の安定を得ていたとも言える。村の掟(おきて)に従っていれば、少なくとも孤独のうちに一人死んでいくなどということはあり得なかった。
 ≪「孤立した貧困層」を救え≫
 もう一つの共同体であった大家族制は戦後、急速に核家族化していった。それは若い夫婦を大家族の束縛から解放したが、親と子、あるいは、お祖父(じい)ちゃんと孫たちの間の絆を希薄にした。
 他方、戦後、人々に共同体的な関係を提供したのは「会社」であった。終身雇用や年功序列という制度は人々に安心感を与え、会社への忠誠心を醸成した。これはエコノミックアニマルと呼ばれる会社人間を生み出したが、孤立した個人を大量生産することはなかった。しかし、近年になってアメリカ流の経営手法が取り入れられるや、日本の会社はもはや共同体ではなく、単なる所得の稼ぎ場所に転じた。成果主義が格差の拡大を正当化し、株主重視の経営が主流になった結果、会社も従業員の精神的よりどころではなくなった。
 このような状況変化の結果、日本人は共同体に依存する生き方はできなくなり、好むと好まざるとに拘(かかわ)らず、西洋流の「個人の自立」を求められるようになった。
 問題はそうした西洋流の個人主義的な生き方に適応できない日本人がまだまだ大勢いるということである。それもそのはず、日本人は大昔から長い間、人と人との絆をことのほか大切にし、他人への配慮を忘れず、お互いに助け合う共同体的な生活に慣れ親しんできたからである。
 共同体の呪縛(じゅばく)から逃れ、自由を謳歌(おうか)する現代人の多くは、いまやその反動として、社会から孤立するようになった。格差拡大によって貧困層が目立って増え、日本社会の温もりが消え、人と人との絆が希薄になり、人心が荒(すさ)み始めた。これが日本社会の現状だ。
 もちろん、昔のままの日本に戻るという選択肢はありえない。そんなことは不可能である。しかし、このまま突き進めば、日本社会はその本来の良さを失い、日本文明は荒廃に向かうだろう。この辺りで立ち止まり、「孤立した貧困層」の問題を直視すべきなのではないだろうか。(なかたに いわお)

05月29日(金)
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